ハミルトンの策謀にも慌てず騒がず。ロズベルグが初のF1世界王者に (4ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

 ハンガリー(第11戦)では雨中の予選で黄旗が振られるなか、唯一タイムを更新してポールポジションを獲得したが、スタートで出遅れて敗北。母国ドイツ(第12戦)でも緊張のためスタート失敗で、優勝を献上した。

 夏休み明けのベルギー(第13戦)は、パワーユニットが足りなくなったハミルトンが3基を投入して最後尾からスタートしたため、ロズベルグのひとり旅。モンツァ(第14戦)は予選で完敗だったものの、ハミルトンがスタートで出遅れたことで、またしてもひとり旅になった。

 ロズベルグ自身がベストレースに挙げるシンガポールGP(第15戦)は、自他ともに認める完勝だった。追いすがるレッドブルのダニエル・リカルドを急きょ変更した戦略で振り切っての優勝だったが、対ハミルトンでは完勝と言えた。

 続くマレーシア(第16戦)は予選・決勝ともにハミルトンが独走したが、まさかのエンジンブロー。これで、チャンピオンシップがロズベルグ有利に大きく動いた。

 日本GP(第17戦)では前週のリタイアに加え、メディアとの対立で精神的にストレスを抱えたハミルトンが振るわず、ロズベルグの完勝となった。しかし、それ以降のアメリカ(第18戦)、メキシコ(第19戦)、ブラジル(第20戦)、そして最終戦アブダビ(第21戦)では予選・決勝ともにハミルトンがロズベルグを圧倒し、ロズベルグは一度も勝利をうかがうことさえできなかった。

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