F1最年少優勝を自ら引き寄せたフェルスタッペン「18歳の冷静力」 (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

 レースが30周目を迎えようかというころ、レッドブルの首脳陣たちが戦況を見詰めるピットウォールでは、対応策が議論されていた。

「もしセバスチャン(・ベッテル)がクリーンエア(※)で走れば、彼がコース上で最速だと思われたから、我々はそこで2台のうちどちらかが(3ストップに切り替えて)セバスチャンをカバーするという、戦術的な決断を下さなければならなかったんだ。あの時点でもっとも優勝の可能性が大きかったのは、前走車であるダニエルのほうだった。だから彼を3ストップ作戦にし、フェラーリも(前走車が3ストップ、後走車が2ストップという)同様の選択をした」(クリスチャン・ホーナー/レッドブル代表)

※クリーンエア=マシンに対する走行風が前走のクルマなどで乱されていない状態のこと。

 2位を走っていたフェルスタッペンは、これで首位に立った。そして34周目にピットに向かい、後ろにキミ・ライコネンを従えて、残り32周を1セットのタイヤで走り切る戦略に臨むことになった。

「問題は、2ストップを選んだ場合にデグラデーション(※)がどのくらいで、レースの終盤に(ライコネンと3ストップのベッテルとリカルドから)どのくらいの脅威にさらされるか、ということだった」

※デグラデーション=タイヤの磨耗など使用し続けることによって生じる性能低下・劣化。

 この段階ではまだ、フェルスタッペンは優勝を意識してはいなかった。同じ戦略のライコネンは抑え切るとしても、後方からフレッシュなタイヤで追いかけてくるベッテルを抑え切ることは容易ではないはずだったからだ。

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