参戦1年目の小林可夢偉「スーパーフォーミュラは甘くなかった」 (4ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki  是枝右恭●撮影 photo by Koreeda Ukyo

──7戦中入賞4回、ランキング6位という結果は、自分としては満足していない?

可夢偉 その"何か"が見つかっていないなかでは良い戦いができたんじゃないかと思うし、自分自身もいろいろと経験ができ、あれだけ練習走行が短いなかであそこまでやれたというのは、「ある意味ではポジティブに捉(とら)えてもいいのかな」とは思うんですけどね。とにかく、練習時間が短すぎますよ。フリー走行が3時間くらい欲しいですね。そうしたら、いろいろとセッティング作業をして、クルマが決まった上でロングランの確認もして、レースに臨めるのに......。

──入賞4回のうち3回は表彰台だったわけですが、今年のハイライトは?

可夢偉 ハイライト? なかったです(苦笑)。ないない、まったくない。表彰台くらいじゃダメですよ。

──そんな2015年を自己採点すると?

可夢偉 採点したくもないけど(苦笑)、う〜ん、8点くらいかな。8号車なんで! そんな感じです。

  ◆  ◆  ◆

 インタビュー前半、このように語る可夢偉だが、SFで1年を戦った彼の言葉の端々からは、自身のドライバーとしての能力に対する自信は、失われたどころか、さらに深まったようにさえ感じられた。優勝こそできなかったが、限られた時間と100%まで突き詰められていないクルマで、それを手にしたドライバーたちと互角の走りができた。条件さえ同じなら、勝てる──。可夢偉は、そう確信したのではないだろうか。

「勝てなかったけど、僕らのパフォーマンスは安定していました。アップダウンがあって、当たったり外れたりしたわけじゃなく、常に(トップのすぐ下の)あのくらいのところにいられた。その層さえ上げられれば、つまり"何か"を見つけて95%を100%に近づけていければ、そんなに難しくもなくずっと勝ち続けられるんじゃないかなとも思うんです」

 さらりとそう語る可夢偉の表情には、レーシングドライバーとしての自信が感じられた。では、そんな彼が2016年に見据えているのは、いったいどこなのだろうか?

(後編に続く)


【profile】
小林可夢偉(こばやし・かむい)
1986年9月13日生まれ、兵庫県尼崎市出身。1996年にカートレースデビュー。2001年にフォーミュラ・トヨタレーシングスクールのスカラシップ生に選出され、2002年にヨーロッパカート選手権へ参戦。その後、フォーミュラトヨタ、フォーミュラルノーなどを経験し、2006年からF3ユーロシリーズにステップアップ。2008年からF1直下のカテゴリーであるGP2に戦いの舞台を移すと、2009年にはF1第16戦・ブラジルGPにトヨタのドライバーとして参戦。いきなり9位入賞の力走を見せると、続く第17戦・アブダビGPでは6位を獲得。これが評価され、2010年はザウバーのレギュラードライバーとしてフル参戦。2011年、2012年はザウバーで活躍。2012年の第15戦・日本GPでは3位表彰台を獲得した。2013年はF1シートを獲得できなかったが、2014年はケータハムと契約。2015年はスーパーフォーミュラに参戦してランキング6位。170センチ・63キロ。AB型。

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