「ルノーより上」と豪語。ホンダはパドックでどう見られていたのか? (4ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki  桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 しかし、パドックでの存在感という点ではどうだろうか?

 ホンダの“顔”となるのは新井総責任者だが、彼はあくまで技術畑のトップだ。開発を担う本田技術研究所の専務取締役であり、ホンダ本社、つまり本田技研工業の責任者ではない。

 他のPUメーカーの場合も、技術責任者がパドックで立ち回ったり、存在感を発揮したりということはなく、そのメーカーの顔役としてFIAやチームとの政治的な窓口となるのはマネージメント系の責任者だ。つまり、技術者ではなく、あくまで政治的駆け引きや人心掌握術に長けた人物ということになる。

 こうした“顔役”の不在が、パドックにおけるホンダの存在感の希薄さにつながったことは否定できない。

 ホンダが発信力という点でマクラーレンに劣り、あらぬ誤解からファンに“大口叩き”と非難されたことも、うまくメディアを味方につけてこられなかったことも、そこに原因があったかもしれない。人が集い社交場となるはずのモーターホームも、ホンダのそれはパドックの端で客人もなく、ただひっそりとドアを閉ざしているだけだった。

「我々はカスタマー供給についても、常にドアはオープンにしています」

 新井総責任者はそう言ったが、果たしてパドックの住人たちからはそう見えていただろうか?

 今回のF1活動再開に際してホンダは、永久にF1に参戦を続け、「F1界の住人になる」と宣言した。しかし、1年目のシーズンを終えた時点で、真の意味でそれが果たされたとは言い難い。

 F1界の住人になるためには、時には笑顔で肩を組み、時には殴り合いのケンカをするような力が必要になる。それを任せるべきは、技術者ではなく、政治力と発信力のある人物だ。PUの開発はもちろんのこと、2016年のホンダには「真のF1界の住人になる」という目標も果たしてもらいたい。

(次章に続く)

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