今年の鈴鹿8耐に見た「ヤマハvsホンダ」時代、再来の予感 (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira  竹内秀信●写真 photo by Takeuchi Hidenobu

 彼らとかろうじて互角のタイムを記録することができたのは、全日本ロードレースで著しい成長を見せる渡辺一樹(カワサキ:Team GREEN)と、あまりにも早すぎる引退から一戦限りの現役復活を果たしたケーシー・ストーナー(MuSASHi RT HARC-PRO.)のみだった。特にストーナーの場合は、本人のずば抜けた速さと高い安定感はもとより、2013年と2014年の8耐を制したチームで、そのときに勝利をもぎ取った高橋巧とマイケル・ファン・デル・マークというチームメイト――という戦闘力の高い陣容を得たことにより、ヤマハファクトリーとともに優勝候補の最右翼と目されていた。

 決勝レースのスタートライダーは8耐をよく知る高橋が務め、スタート直後からトップグループで高水準の走りを続けた。予定どおり24周の走行を終えた高橋はピットへ戻り、ストーナーに交代した。文字どおり世界中の熱い注目を一身に集めながら、ストーナーは現役時代を彷彿させる危なげない速さで周回を重ねていった。が、コースインして7周目のデグナーカーブ2の立ちあがりでマシンが挙動を乱し、立て直すことが不可能と判断したストーナーはマシンを倒してグラベルゾーンへ滑っていった。

 マシンは大きく回転しながらヘアピンコーナーのコース上まで転がっていき大破。ストーナー自身も土煙を上げながらグラベルゾーンをもんどり打つように転がっていった。一度は身体を起こしたストーナーは、しかし、マーシャルに抱えられながらメディカルセンターへ向かった。初期の診断結果は、右肩甲骨と左脛骨の骨折(のちに本人が左脚の負傷はかかとであるとツイッターで報告)。コース上に残ったマシンと破片は、セーフティカーが導入されて処理された。

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