【F1】4度目の日本GPで可夢偉が伝えたかった思い (4ページ目)
ダウンフォース不足のハンディはウエットコンディション時の方が露骨に出る。そんな状態で可夢偉がなんとか周りについていくことは、最も難しく、腕と経験が要求される走りだった。
台風の影響で、悪天候下で開催された日本GP「こういうコンディションの時って、リスクを取るか安全パイを取るかっていうところが難しいんですけど、実際に飛び出したりする人も多かったじゃないですか。雨からドライになって、そこからまた少しずつ雨になってきてっていう時は、難しいんです。そこがどれだけ滑るかっていうのは、実際にそこに行ってみないと分からないんです。でもレースをしていたら待ってられないでしょ? 生き残らないと意味がないし、こうしてきちんと走り切りながらもギリギリまで攻めて走れたっていうのはよかったと思います」
レースが終盤に差し掛かったところで、雨脚がやや強まってきた。その雨が15分ほど降り続くという予報がもたらされたのを聞いた可夢偉は、ギャンブルに打って出た。ライバルたちに先んじて、浅溝のインターミディエイトからフルウエットタイヤに交換しようというのだ。コンディションの変化によっては、タイヤの違いがラップタイムにして、1周で5秒も10秒もの差になることがある。
しかし、ピットアウトしてみれば装着されていたのはインターミディエイト。チーム内の指示伝達が遅れたせいで準備ができていなかったのだ。結局、翌周に再びピットインしてウエットに交換しなければならなかった。
「あのまま(ウエットタイヤに換えて)レースが続いていたら結構良いところに行けていたのかなという気はします。セーフティカーが入って前とのギャップが縮まって、みんながインターミディエイトを履いている中で僕はウエットだったわけですからね。そこまで我慢して走って、最後に賭けが成功した可能性はあったとは思うんですけどね」
その後、ジュール・ビアンキがスピンオフして車両撤去作業用の重機に激突するという不運な事故が発生し、レースはそこで終了となった。可夢偉の4度目の鈴鹿は19位で終わった。
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