【F1】ハミルトンが母国GPで手にした勝利以上のもの

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 シルバーストンで行なわれた伝統の一戦、イギリスGP。母国レースの雨の予選で6位に終わったルイス・ハミルトン(メルセデスAMG)の落胆は大きく、大勢の地元メディアに囲まれても口は重かった。

地元イギリスGPの予選で6位に沈んだハミルトン地元イギリスGPの予選で6位に沈んだハミルトン 雨足が弱まったQ3最後の1分に、どうしてタイムアタックをやめてしまったのか? アタックを続けた僚友のニコ・ロズベルグ(メルセデスAMG)はポールポジションを奪い、今季苦戦が続いていたハミルトンと同じくホームグランプリになるジェンソン・バトン(マクラーレン)は3位に飛び込んだ。

 その時点でタイミングボードに並んでいた各車のタイムは、雨が降っていたセクター3の路面がかなり濡れた中で記録されたものばかりだった。しかしQ3の最後に雨は弱まり、路面状況は驚くほど向上していた。

 ハミルトンがセクター1でミスを犯してアタックを断念した後、セクター2を通過した段階でベストタイムから1秒以上遅れていたロズベルグは、セクター3で大きく稼いでトップに躍り出た。

 完全にハミルトンの判断ミスだった。ただし、ロズベルグとバトンがセクター3でタイムを縮められる "可能性"があることを知っていたのに対し、ハミルトンはチームからそのことを聞かされていなかった。その意味では、チームのミスだったとも言わなければならない。

「あの時点で大きくタイムロスしていて、すでに(自己ベストの)0.5秒落ちだった。僕はあきらめたりしない人間だけど、あそこでアタックを続ける意味はないと思ったんだ。それに最終セクターが3秒も4秒も速くなることなんて、チームから聞かされていなかったからね......」

 周囲が思うよりもずっと、ハミルトンの落胆は大きかった。

 ここイギリスGPが彼の地元グランプリであり、スタンドは彼の優勝を心待ちにする大勢のファンで埋め尽くされていた。だからこそ、このレースにかける思いは強く、その分落胆も大きかったのだ。

 1950年にF1世界選手権のレースが初めて行なわれたシルバーストンは「モータースポーツの聖地」とも言われ、毎年10万人超のファンでいっぱいになる。芝生の多く残る観客エリアでは、家族連れで訪れて1日をのんびりと過す人々や、小高い場所にディレクターズチェアで陣取ってドライバーたちの走りの一部始終を観察してやろうという根っからのF1ファンもいる。老若男女が生活の一部としてレースを楽しんでいる様子が何とも微笑ましく、我々日本人の目には羨ましく映る。

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