【F1】今宮純が想う「セナがすべての者に託した遺言」 (2ページ目)

  • 川喜田研●構成・文 text by Kawakita Ken 喜 安●写真 photo by Kiyasu, AFLO

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今宮氏が大切に保管しているセナのサインとツーショット写真今宮氏が大切に保管しているセナのサインとツーショット写真 再開されたサンマリノGPは、ミハエル・シューマッハが開幕3連勝。その後はご存じのように、彼はセナなき1994年シーズンを席巻し、1995年もタイトルを連覇して「次の時代」を切り開いていった。しかし、あの事故の瞬間、セナの後ろを走っていたシューマッハは、セナ事故の核心に関しては多くを語らないままでいた。

 今年の正月、セナの特別番組を制作するために来日したブラジルのテレビ局から取材を受けた。日本のジャーナリストとして、「なぜ、セナは日本人に愛されたのか。その理由を答えて欲しい」という率直なテーマだった。彼らはその後、ヨーロッパに飛び、アラン・プロストやゲルハルト・ベルガー、デイモン・ヒルなど、セナとゆかりの深い人たちを取材する予定で、その中にはシューマッハも含まれていたという。

 だが、そのシューマッハは2013年12月29日に起きたスキー中の事故で意識不明の重体に陥ってしまい、結局、彼のインタビューが実現することはなかった。もし、ブラジルのテレビクルーが日本より先にヨーロッパで取材をしていたら、シューマッハはいったい、何を語ったのだろう?

 ただひとりのワールドチャンピオンとして新たな戦いを始めたばかりのセナと、彼を倒して「次の時代」を切り開こうとしていたシューマッハ......。タンブレロコーナーで起きた事故によって、我々は、「ふたりの時代の入れ替わり」を、最後まで見ることはできなかった。これは、シューマッハ自身にとっても悔いが残ったのではないだろうか。

 その後、ベネトンで2度のタイトルを獲得したシューマッハが、長い不振に喘いで「落ち目」にあったフェラーリへの移籍を決断したのは、セナのいないF1で、「名門フェラーリを立て直す」という新たな挑戦を自分に課したからだろう。ベネトンに留まっていれば、さらに多くのタイトルを手にしていたはずだ。だが、シューマッハは名門フェラーリを立て直すまでに5年を要し、2000年にようやく3冠目を果たすこととなった。このシューマッハの挑戦によって、「セナなきF1」は新たな時代へと移行していった。

 劣勢のフェラーリで奮闘するシューマッハと、マシン性能で勝るウイリアムズ・ルノー。この「人間」対「機械」の戦いが、1990年代後半のF1を支えた基本的な構図だった。それは、セナの死によってコース上で世代交代を実現できなかったシューマッハが、セナ後のF1界最大の主役として自覚を持ち、新たな自己証明を求めた「構図」にほかならない。

 2000年以降、復活した名門フェラーリで黄金時代を築き上げたシューマッハは、2006年にいったん引退するわけだが、その後、フェルナンド・アロンソやキミ・ライコネンといった新たな時代を担う才能が現れてくる。コース上でライバルを倒し、「世代交代」を実現するF1のダイナミズムは、しっかりと受け継がれている。

 しかしながら、これからアイルトン・セナのような、「多くの人たちの魂を揺さぶるスーパースター」が生れるかと問われれば、正直、それは難しいのかもしれない。

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