【F1】今宮純が振り返る「セナの姿にサムライを見た」

  • 川喜田研●構成・文 text by Kawakita Ken 喜 安●写真 photo by Kiyasu, AFLO

日本人がセナに惹き寄せられた理由を分析する今宮純氏日本人がセナに惹き寄せられた理由を分析する今宮純氏 レーシングドライバーとしてのセナは、よく言われているように「完璧主義者」で、誰よりも烈しい勝利への執着心を持ったドライバーだった。ほんの一例を挙げよう。レース前に歩いてコースを下見するとき、セナは進行方向だけでなく、時には後ろ向きにコースを眺めながら自分のマシンがコーナーを脱出するラインをイメージしたり、視点をコックピットに近い位置に下げて微妙な路面のうねりやガードレールの切れ目などを熱心にチェックしていた。彼があまりにも時間をかけて入念にコースを下見するので、後から歩き始めた僕がコース上でセナを追い抜いてしまったこともあった。

 また、暑いメキシコのサーキットでコース下見中のセナに持っていたミネラルウォーターを差し出したら、「別に君を信用していないワケではないけれど......」と断られたことがあった。自分が100パーセント信頼できるモノ以外は口にしない。すべてに細心の注意を払い、決して妥協をしない。彼はそうした厳しさを常に持ち続けていたドライバーだった。

 そうしたセナの姿勢は、ホンダが持ち込んだデータ・テレメトリーシステム(※)など、技術面で急速な進化を見せていた当時のF1テクノロジーにもマッチした。

※データ・テレメトリーシステム=マシンやエンジンのデータを記録し、無線でピットに送信して解析するシステム。

 レーシングカーのメカニズムだけでなく、より速く走らせるための周辺環境や情報管理など、「レース・システム」が猛スピードで変化していく時代に、セナは人一倍の研究熱心さで適応した。天才性のなかに、彼自身の努力を僕は感じた。レーシングカートに乗っていた少年時代から、セッティングに関して「しつこい」ことで有名だったセナである。詳細なデータで自分の走りやマシンの変化を確認できる最新技術が、彼の「完璧主義」を大いに刺激したことは想像に難くない。

 F1エンジンに数々の技術革新をもたらした第2期ホンダ(※)と、完璧主義で革新技術を貪欲に活かし切ろうとしたセナ――。この両者が互いに響き合い、尊敬と信頼の絆で結ばれていったのは、ある意味、必然であったと言えるだろう。

※1964年~1968年が第1期、1983年~1992年が第2期、2000年~2008年が第3期。

 僕自身、あのころは意識していなかったのだが、今、振り返ってみると、当時の日本人はこうしたセナのストイックな姿勢、生き方、言動、そしてホンダとの関係性などに、いわゆる「武士道」にも通じる一種の「サムライ」的な精神性を見出し、特別なシンパシーを感じたのではないかと思う。

 もちろん僕も含めて、日本人はホンモノの「侍」を見たことはない。ただ、ヘルメットという「兜(かぶと)」を被り、マクラーレンMP4という「鎧(よろい)」を身にまとい、「ホンダエンジン」という稀代の名刀でライバルたちを打ち破ってゆく武士......、そんなイメージを、日本のみならず、ブラジルや海外諸国の一般ファンがセナに重ねていたような気がする。

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