川井一仁が語る「セナとベッテルの決定的な違い」

  • 川喜田研●インタビュー・構成 interview by Kawakita Ken

 最後のシーズンとなった94年、開幕戦インテルラゴスのブラジルGP、第2戦の岡山、TIサーキット英田(あいだ)のパシフィックGP、そして第3戦イモラ、サンマリノGPと、セナは3戦連続のポールポジション。結局、あの年、予選で一度も負けることなく、誰も追いつけないまま、「誰よりも速い」ままで、セナは突然いなくなってしまった......。

 また、94年はレギュレーションの変更でF1に再び「レース中の給油」が導入された年で、シーズン序盤の数戦は各チームがまだ手探り状態だったけれど、セナの死後、次第にレースでの「ピットストップ戦略」が重要になっていった。レース・ペースはドライバー自身が考えてコントロールするものではなく、エンジニアが決めるものになった。その意味でも、あの年は、F1が「エンジニアリング主体」の傾向を急速に強めてゆく、大きな時代の変わり目でもあったと思う。

 今のF1では、テクノロジーとマシンの進化がさらにハイレベルになって、ドライバーは普通の人では理解できないクルマに乗っている状態。それに比べて、セナがいた時代は「ドライバーの表現できる範囲」が今よりもずっと大きかった。

 しかも、レーシングドライバーが、今よりも闘志をむき出しにして「野獣」になれた時代だったから、そこで戦うドライバーひとりひとりの「匂い」も今より強く感じられた。

 アイルトン・セナはそんな時代の、本物の「カリスマ」だった。だからこそ、あの日から20年の歳月が過ぎた今も、僕も含めた世界中の人たちの記憶に刻まれているのだと思う。

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