川井一仁が語る「セナとベッテルの決定的な違い」

  • 川喜田研●インタビュー・構成 interview by Kawakita Ken

 セナがいた時代は、ホンダが初めてF1の世界に本格的な「データ・テレメトリーシステム」(※)を導入した時期と重なる。この頃から、それまでの、「ドライバーが自分のケツでマシンの挙動を感じ取る......」という時代から、いろいろな走行データを解析できる時代になってきた。
※エンジンの状態をはじめとした、マシンのさまざまなデータを記録してピットに無線で送信して解析するシステム

 もちろん、他のドライバーもそうしたデータを参考にするようにはなっていたけれど、セナはそうしたデータと誰よりも真剣に向き合っていた。データを細かく読み取りながら、自分の走りを分析し、さらに完璧な走りを追求し続けていた。ホンダがもたらした技術革新とセナの完璧主義が出会って、あの時代にピッタリとマッチしたんだ。

 今でこそ、セバスチャン・ベッテル(レッドブル)やニコ・ロズベルグ(メルセデスAMG)が、セッション後の走行データ解析に4、5時間かけるなんていうのも珍しいことじゃなくなっているけれど、セナはそういうデータ解析に基づいてマシンのセッティングや走りを磨く「近代的F1ドライバー」の基礎を築いたと言っていい。

 その一方で、80年代、90年代当時のF1は今よりもドライバーがドライバーらしく、闘争本能を剥き出しにして戦う「獣」になれた時代だったと思う。

 最近は自分自身が大人になったせいか、たとえば、今シーズンのバーレーンGPで、メルセデスAMGのハミルトンが、ロズベルグにちょっと強引な幅寄せをすると「危ない」とか「汚い」とか思うんだけど、セナが走っていたあの当時はそれぐらいでは何とも思わなかった。セナは「何が何でも勝つ!」というタイプだから、ヘタしたらぶつけるまでやりかねないからね。今、同じことをやったら大きなペナルティを喰らうだろうけど。

 そうやって、セナがプロストとぶつけ合いながらチャンピオンを獲得した90年に、セナとジャッキー・スチュワート(注:3度タイトルを獲得したイギリス出身の元F1チャンピオン)との対談でセナが言っていた「自分とライバルの間にギャップがあって、そこに少しでもチャンスがあるなら、そこに飛び込まないのはレーシングドライバーじゃない......」という言葉はすごいと思ったね。

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