【F1】3連覇達成。レッドブルはなぜ短期間で強くなったのか? (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 2007年から彼の手によるマシンが走り始め、それを走らせるためのチーム力が追いつくに従って成績は徐々に上向いていった(ランキング5位)。そして、それが大きく開花したのが2009年だった。過去2年間のデータを元にガラリと設計思想を変えたマシンRB5が速さを見せると、この年からチームに加わったベッテルが勝利を重ね、チャンピオン争いを繰り広げた。その結果、コンストラクターズランキング2位まで上昇した。

 若さの勢いによって上位争いをするところまで来たが、若さだけでは強くなれない。速さでは群を抜いていたもののタイトルを奪えなかったのは、マシン信頼性の欠如とチームワークの未成熟さゆえだった。

 2010年、彼らは初のタイトルを手にした。しかし、やはりマシンの速さがありながら最終戦の奇跡的な逆転劇によってそれを成し遂げなければならなかったのは、まだマシンの速さにチームとしての強さが伴っていなかったからだ。トラブルの頻発だけでなく、新パーツ使用をめぐるチームメイト同士の確執が話題になるなど、レース運営という面で一流チームとは言えないところがあった。

 だが、彼らはその失敗から学び、成長した。2011年、マシンの速さだけでなく圧倒的な強さでシーズンを席巻したのは、彼らがチームとしてのクオリティを高めてきたからだった。

 そんな彼らは今年、また新たな壁に直面することとなった。2011年の速さの源だった特殊な排気管が禁止されてしまったからだ。

「ブロウンディフューザー禁止と排気管規制のため、冬の間にマシンの大幅な見直しが必要になった。非常に難しい仕事だった。受けた影響は、ライバルたちよりも我々の方が大きかったはずだ」(ニューウェイ)

「開幕時点から僕らはクルマの挙動が去年とは異なっていることに苦しんでいて、なかなか原因の究明ができなかった。おかげで僕は思うようにクルマが操れずに(予選で最後の差を生み出す)"トリック"が使えなかった」(ベッテル)

 その言葉どおり、今シーズン序盤のレッドブルは大苦戦を強いられた。予選でトップ10から脱落することさえあった。第4戦バーレーンGPでようやく初優勝にこぎつけたが、ベッテルが2勝目を挙げたのは第15戦シンガポールGPになってからだ。第8戦ヨーロッパGP、第14戦イタリアGPでは首位を走りながらトラブルでレースを失った。

 それでも彼らは最後まであきらめることなく戦い続けた。マシン改良に成功し、ベッテルはシンガポールから4連勝で選手権リーダーの座に返り咲いた。この3年間で得た経験とノウハウの真価が発揮された結果と言っていいだろう。

「この2、3年で多くの成功を手にしたが、我々はまだ若いチームであり、時折ミスも犯すし、まだ学ぶべきことは多い。しかし大きな情熱と決意を持って、自己批判精神も忘れず、進歩しようと努力しているんだ」(ニューウェイ)

「我々が成功を収めた最大の理由は、チームワークだ。全員が一体となっているんだ。各部門のひとりひとりがマシンの細かな部分にわたって密接に働いている。この数年間でチームとして大きく進歩したし、計り知れない強さがある」(ホーナー)

 その真価が最も現れたのが、ベッテルが最後尾から追い上げる苦境に立たされた第18戦アブダビGPと最終戦のブラジルGPだった。マシントラブルやクラッシュなどの突発的な事態にもうろたえることなく、彼らは冷静にレースに集中して突き進んだ。自分たちに能力があることは分かっている。あとは、自分たちの力を信じること。その大切さを彼らは分かっていた。

「目の前の状況に怒ったり苛立ったりするのではなく、僕らは信じ続けたんだ。集中力を保つのは決して簡単ではなかった。でも僕は1歩ずつ前に進んでいこうと自分に言い聞かせたんだ」(ベッテル)

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