【MotoGP】最終戦で中須賀克行が2位表彰台獲得!トップライダーたちの結末と未来は? (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeichi Hidenobu

 ピットからのサインボードで順位を理解したのは、ラスト5周になったころだ。

「後ろとのタイム差が縮まらなかったので、そのアドバンテージを使いながらペースを調整していた。サインボードを出す皆の喜び具合を見て、『ああ、自分は今、表彰台圏内にいるのだな』と確信した」という。

 独走優勝したダニ・ペドロサ(レプソル・ホンダ)から37秒差で2位チェッカーを受けた中須賀は、3位のケーシー・ストーナー(レプソル・ホンダ)に22秒以上もの差をつけていた。

「全日本チャンピオンを獲ったときよりもうれしかった。誰もが憧れるMotoGPの表彰台に上がれて、ハンパなく気持ち良かった」

 気分良くレースを振り返る口からは、この勢いで来年の開幕戦(カタールGP)にも参戦しちゃおうか、との言葉も飛び出した。もちろん軽口で、その実現は容易ではない。が、もし実現すれば、世界中のファンから大きな注目を浴びることはまちがいないだろう。

 中須賀の背後で3位チェッカーを受けたストーナーは、今回がレース人生最後の一戦になった。足首の負傷はまだ癒えておらず、歩く際には傍目にもわかるほど足を引きずっている。そのような状態であるために、土曜段階から「リスクを負いたくないので、できればドライでレースをしたい」と話し、決勝レースもウェットタイヤで慎重なスタートになった。スリックタイヤのマシンに乗り換えて一時は16番手に下がったが、そこから執念ともいえる追走を開始。現役ファイナルレースを表彰台で飾った。

「自分は感情を表に出すほうではない」と平素から語る性格だけに最後まで涙は見せず、スタッフのねぎらいや関係者たちからの万雷の喝采も、笑顔で受け止めた。

 負傷のために途中欠場を強いられながら、今年は前戦オーストラリアGPの圧勝を含む5勝を挙げてランキング3位。2006年以来MotoGPクラスで残した成績は、二回のチャンピオン獲得(2007、2011)。優勝回数は38回、2位11回、3位20回。誰も追いつけない無類の速さを持ったライダーであったことは、長く人々の記憶に残るだろう。

 来季からヤマハに復帰するバレンティーノ・ロッシは、ひっそりと10位でドゥカティ最後のレースを終えた。ドゥカティ2年目の、今年のランキングは6位。総合7位で終えた昨年と、内容的にはなにも変わらないシーズンだった。

 ホンダ時代の2003年は、優勝で最終戦を飾った後に夕刻から記者会見を開き、「惜別の辞」を読み上げた。ヤマハを去った2010年には、クールダウンラップでコースサイドにマシンを停め、ヘルメット越しにフロントカウルにキスをして愛惜の念をあらわした。

 しかし、ドゥカティの去り際はじつに淡々としたものだった。レース後の定例囲み会見では、「ドゥカティは雨なら速く走れるし、朝のウォームアップはいい感触だったのでウェットレースを期待したのだが、そうはならなかった。フロントタイヤになかなか熱が入らず、苦しいレースになった」とフラストレーションの溜まるレース結果を振り返るのみで、チームを去る名残惜しさのような雰囲気は微塵もうかがえなかった。

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