【MotoGP】地元選手が大活躍したマレーシアGPで考えた
「日本人ライダーの不振」

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 牽強付会(けんきょうふかい)と笑われるかもしれないが、今回の彼の走りはかつての阿部典史を、少しだけ想起させた。当時18歳だった阿部は、1994年に鈴鹿サーキットの日本GPへワイルドカード参戦し、いきなりトップ争いを繰り広げた。最後は転倒リタイアに終わったが、この強烈な走りが世界に強い印象を与え、阿部は自ら世界への道を切り拓いていった。加藤大治郎や中野真矢も、日本GPにワイルドカード参戦してはあっさりと表彰台を獲得した。現役選手では、ツインリンクもてぎで行なわれた2002年のパシフィックGPで、当時高校生の高橋裕紀がワイルドカード参戦し、3位表彰台を獲得した例もある。

 ひるがえって、近年の日本GPでは、ワイルドカードの日本人選手がフル参戦のトップ勢を脅かしたという例は聞いたことがない。もちろん当時と現在とのレース環境はさまざまな面で異なるため、単純な比較をするわけにいかないのは百も承知だ。また、今の日本にも個々のレベルで速さを持った選手がいることも認めよう。

 だが、グランプリの場になると、日本人選手たちはまるで借りてきた猫のようにおとなしく見える。少なくとも、<GP選手がなんぼのもんじゃい>という覇気や向こう意気の強さは、残念ながら感じられない。世界の姿を実感できないがゆえに、対抗心やライバル意識がリアリティを持ち得ないのだとすれば、そのリアリティの薄さこそが、今の日本と世界のあいだに開いている距離の大きさなのかもしれない。

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