【F1】有言実行。
可夢偉とチームが失敗から学んでつかんだ日本GP表彰台

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 これに対し、可夢偉陣営は予定を早めてタイヤ交換を行ない、応戦。バトンがタイムを稼ぐ前にピットインを終えて、ひとまずバトンの機先を制した。これまでレース中の臨機応変な戦略対応に難のあったザウバーだが、ここでは見事な采配を振るった。ただ、後方にいたフェリペ・マッサのペースはさらに速く、可夢偉の3周後にピットインした彼に先行されてしまったが、それはおさえるべき競争相手としてバトンをとるかマッサをとるかのせめぎ合いであり、致し方のないところだ。

 第2スティントも同じようなレース展開で、バトンとの攻防が続く。そしてやはり、可夢偉のタイヤの方が先にタレる。

 今度は可夢偉が先に動いた。苦しいタイヤで走り続けるよりも、先にタイヤ交換をして飛ばす。こうして3位を死守したまま、最後の20周へ。

 ここでもバトンはじわじわとタイム差を縮めてくる。4秒あったタイム差は、残り10周を迎える頃には2秒を切るようになった。レースエンジニアのフランチェスコ・ネンチが無線で伝える。

「可夢偉、バトンが差を詰めてきているぞ、プッシュしろ!」

 一方、バトンにも「表彰台を取りに行くぞ」という無線が飛ぶ。

 だが可夢偉はここから急激にタイムを上げ、自己ベストタイムを叩き出し続ける。

 第1、第2スティントでタイヤの傾向を見ていた彼らは、しっかりとそこから学び、この"最後の逃げ足"のためにタイヤを温存していたのだ。ここまでは、そのためのスローペースな10周だった。

 差が1秒を切ると、メインストレートでDRS (可変リアウイング)を使われてしまう。そうなると、いかに抜けない鈴鹿といえどもオーバーテイクされる危険性が増す。それだけは避けなければならなかった。

「まぁ、あんまりうまくいかなかったですけどね。でもなんとかDRSは使わせないようにして。特に最後の3周はリアタイヤがタレてきていてかなりキツかったし、なかなか大変でした」

 チームCEOのモニシャは祈るように両手を合わせ、チームマネージャーのベアトは頭を抱えるようにしてうずくまる。モニシャをして「彼は我が子のような存在」と語るこのチーム全体が、どれだけ可夢偉に表彰台を獲らせたいかという思いを抱いてきたが伝わってきた。

 だが可夢偉は危なげなくバトンを抑えて53周を走り切り、3位でチェッカーフラッグを受けた。

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