「三浦家は競馬がつないでくれている」ハマの番長の娘で競馬記者・三浦凪沙が明かすウマ好き一家の思い出 (2ページ目)
【記者になって直面した「好き」を仕事にする難しさ】
思い出に残っているレースはたくさんあるので、ひとつに絞るのは難しいのですが、同じく父の所有馬だったリーゼントロックが2着になった佐賀記念(佐賀/ダート2000m)です。
2019年2月に行なわれた地方交流重賞(JpnⅢ)で、5番人気だったロックは、最終コーナーから2頭で追い比べる展開に。ゴール前まで競り合いが続いて、最終的にはクビ差で負けてしまったのですが、本当に惜しい内容で、ロックが重賞を勝てるかもしれないと思ったレースでしたね。
この時は、あまりに悔しすぎて泣きました(笑)。競馬で泣いたのは初めてでした。父はプロ野球のキャンプ中で沖縄にいたので、私と母で佐賀競馬場まで行きました。ゴール前ではふたりともかなり興奮しながら応援していて、ゴールの瞬間はお互いひっくり返るくらい悔しがりました。
競馬記者になった理由は、高校生の頃から馬に何かしらの形ででも携わる仕事がしたいと思っていて、大学生になって進路を選択する際、馬や競馬の魅力をたくさんの人に伝えたいと思ったからです。
当時の両親の反応は......とくになかったですね(笑)。馬が好きなこと、それを仕事にしたいことは知っていましたし、それまでも私の選択に対して反対されたことが基本的になかったので、当時も背中を押してくれました。
唯一、母から言われたのは「大好きな競馬でも、仕事にしたら今までのように純粋に楽しめなくなるかもしれないよ」ということ。たしかに仕事がつらくて競馬がいやになりそうな時期もありましたが、今では競馬ファンとしての気持ちと競馬記者としての気持ちを切り替えられるようになりました。「好き」を仕事にするということは難しさもありますが、そのぶん、やりがいを感じています。
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