ウマ娘の初代主人公・スペシャルウィーク。その数奇な運命、武豊との出会い、ダービー優勝

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by AFLO

 このコンビの快進撃は、翌1999年も続いた。なかでも印象的なレースは、1999年11月28日に行なわれたGⅠジャパンカップ(東京・芝2400m)である。

 4歳となった1999年春、スペシャルウィークは武騎手とともに2つ目のGⅠタイトルを獲得。競馬界を引っ張る1頭になっていた。秋も、格下相手の前哨戦でまさかの7着大敗を喫しながら、続くGⅠ天皇賞・秋(東京・芝2000m)を後方一気の追い込みで勝つなど、実力は健在だった。

 そんな復活劇の直後、11月のジャパンカップで大仕事が舞い込む。当時「世界最強」と言われ、ヨーロッパ伝統のGⅠ凱旋門賞(フランス・芝2400m)を制したモンジューが参戦することになったのだ。

 そしてこの一戦は、単に世界最強馬を迎え撃つだけの話ではなかった。モンジューに対しては、特別な因縁があったのだ。

1999年、スペシャルウィークと同世代のエルコンドルパサーが、異例の海外挑戦を表明した。それは、4月から約半年にわたってヨーロッパに長期滞在し、10月の凱旋門賞を大目標に現地でレースをこなすプラン。個人的には、1995年にメジャーリーグに挑んだ野茂英雄、1998年からセリエAに移籍した中田英寿と並べたくなるほど、大きな海外挑戦だった。

 この遠征は成功し、春にはフランスのGⅠを制覇。そして目標の凱旋門賞でも主力として出走した。しかし、エルコンドルパサーは終始先頭をキープするも、最後の最後にモンジューに差されてしまった。

 その宿敵モンジューが日本にやってくる。当時は今以上にヨーロッパの馬の強さが際立っていた時代。それでも、なんとか仇を取って欲しかった。まして今回はこちらのホーム。そこで、日本馬総大将となったのがスペシャルウィークだった。

 レースでは後方に待機し、その後ろにモンジューが付ける形。馬群が3コーナーをすぎた時、スペシャルウィークと武騎手がスルスルっと上がっていく。ここでモンジューはやや離されてしまった。

 そして直線。スペシャルウィークが早々と抜け出すと、海外勢に先頭を譲らずゴールへ。モンジューは外から懸命に追い上げるも4着が精一杯だった。

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