ウマ娘で続くアグネスタキオンの物語。ライバルを圧倒して走った4レースは伝説的だった (2ページ目)

  • 土屋真光●文 text by Tsuchiya Masamitsu
  • photo by Kyodo News

 年が明けて、21世紀最初の年となった2001年から、日本の馬齢表記が現在のものとなった。

 その新3歳になって、アグネスタキオンはGII弥生賞(中山・芝2000m)から始動する。早くからこのレースで走ることを明言していたため、対戦を避ける陣営も多く、8頭立てのレースとなった。当日は初の不良馬場となったが苦にすることなく、2着のボーンキングに5馬身差をつけ、単勝1.2倍の支持に応えた。

 ここまでの勝利と、前述の血統構成、特に全兄のアグネスフライトが前年のダービーを制していることから、俄然クラシックへの期待は高まっていくことになるが、ここへ、若駒S(京都・芝2000m)、GIIIきさらぎ賞(京都・芝1800m)と無敗で勝ち上がってきた、同じ長浜博之厩舎、同じ渡辺孝男氏所有、父も同じサンデーサイレンスのアグネスゴールドが、遅れてきたライバルとして台頭。

 弥生賞の2週後に行なわれた皐月賞トライアルのGIIスプリングS(中山・芝1800m)も勝利して、同厩舎同馬主の無敗対決がGI皐月賞(中山・芝2000m)の焦点となるが、スプリングSの翌日、最大のライバルとなるはずだったアグネスゴールドは右前脚の骨折が判明し戦線離脱。

 最大のライバル不在で迎えた皐月賞は、弥生賞よりも多いフルゲートの18頭が出走したのにも関わらず単勝1.3倍の支持を集めると、好位5番手の位置から、難なく抜け出して勝利した。この勝利によって、いよいよシンボリルドルフ以来の「無敗の三冠馬」への期待が不動のものとなっていく。

 しかし、皐月賞から2週間後、今度はアグネスタキオンが左前脚の屈腱炎を発症。屈腱炎といえば「走る馬ほど罹りやすい」と言われる疾患。ウマ娘作品中の「エンジンばかりが立派で機体が脆かった」というセリフはここへとつながってくる。

 ダービーを回避し、復帰に向けて休養に出されるが、その道も断念。8月に引退・種牡馬入りが発表された。ifの物語とは異なり、アグネスタキオンの競走馬としての物語はここで終わりを告げる。

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