ウマ娘でもオグリキャップは食いしん坊。武豊と勝利した2つの名レース (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 安田記念に挑んだのは、5歳の春。オグリキャップはこのとき、すでに国民的なアイドルホースになっていた。先述のように、デビューの舞台は地方競馬の笠松競馬。良血馬や期待馬は中央競馬でデビューするのが一般的で、地方競馬は下部リーグのようなもの。しかしオグリキャップは、1987年に2歳でデビューすると、その笠松競馬で12戦10勝の成績を残した。そして3歳春、あまりの強さから中央競馬に移籍する。

 いくら笠松で強くても、中央競馬のレベルは3枚も4枚も違う。通用するのは簡単ではない。しかし、オグリは別格だった。中央移籍から怒涛の6連勝。それもすべて重賞レース。地方から中央にやってきた怪物、それでいて愛嬌ある芦毛の馬体が相まって、実力も人気も一気にトップクラスとなった。

 3歳冬には、有馬記念で初のGⅠタイトルを獲得。笠松からやってきた1頭のサラブレッドが、全国の頂点に立った瞬間だった。

 そして4歳となった1989年、この年の秋にオグリは伝説を残した。11月のGⅠマイルCS(京都・芝1600m)で、バンブーメモリーとのマッチレースを制すると、なんと翌週のGⅠジャパンカップ(東京・芝2400m)に出走したのである。

 競走馬が2週連続で走るケースは、非常に少ない。レースでの疲労が抜けきらないためだ。ましてG I。競馬界では「連闘」と呼ばれるが、GⅠを連闘するなど前代未聞だった。しかしオグリキャップは、ニュージーランドのGⅠ2勝馬ホーリックスとマッチレースを演じ、クビ差の2着と健闘したのだ。

 驚くべきは、その勝ちタイム。計測された2分22秒2は世界レコードだった。オグリキャップも負けはしたが、同タイムで走りきったのである。

 続く2度目の有馬記念は、疲れもあってか5着に敗退。そこから翌5歳の春まで休み、待望の復帰を果たしたのが、武豊と挑んだ安田記念である。

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