「ウマ娘」でもヒールのライスシャワー。最後はファンに愛された名馬 (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 そして直線、先頭に立つブルボンに、すかさず外からライスシャワーが並びかける。ブルボンも抵抗するが、最後はきっちりとかわした。競馬場は騒然となり、アナウンサーも「京都競馬場の大歓声が悲鳴に変わりました」と伝えている。

 これが、ライスシャワーにとって最初の大記録阻止だった。

 それから5カ月半後の1993年4月25日。ふたたびライスシャワーは大記録阻止をやってのけた。舞台となったのは、またも京都競馬場。GⅠ天皇賞・春(京都・芝3200m)である。

 このレースで前人未到の記録に挑んだのが、メジロマックイーン。長距離戦で圧倒的な強さを誇り、天皇賞・春の3連覇がかかっていた。伝統ある"春の盾"として続いてきたこのレースでも、史上初のことだった。

 しかし、ライスシャワーはそれを打ち破った。マックイーンを倒すため、戦前、陣営は異例のハードトレーニングを敢行。前走比マイナス12kgという極限の馬体で挑んだ。

 レースでは、大本命馬の背後をぴったりマーク。3〜4コーナーでマックイーンの芦毛の馬体が上がっていくと、またも黒い影がその後ろから追いかけた。そして直線、実況も「今年だけもう一度頑張れ、マックイーン!」とエールを送るが、ライスシャワーが一気に外からかわした。ミホノブルボンに続き、メジロマックイーンの記録達成も阻む形となった。

 ライスシャワーが図ったように大記録を止めたのは、もちろん偶然の結果論。馬や陣営は、ひたむきに勝利を目指しただけだった。しかし、不幸にも、負かした相手が背負うファンの期待が大きすぎた。結果、本来なら喜ばれるはずの大勝利が"ヒール"としてのキャラクターを定着させてしまった。ウマ娘の性格も、そんな事実が背景となっている。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る