有馬記念で史上最高の復活劇。トウカイテイオーが起こした奇跡に感涙 (2ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

 3歳の後半は治療に専念し、4歳春に復帰(※年齢は現在の表記)。当時GIIの大阪杯を快勝して、通算7戦7勝としたが、無敗記録はここまで。続くGI天皇賞・春で5着に敗れると、もはや「負けない馬」ではなくなった。

 それからの競走生活は、まさに故障との闘いだった。天皇賞・春のあとにも骨折が判明。復帰を果たした天皇賞・秋では7着と、掲示板を外すほどの惨敗を喫した。すると、「もう以前のトウカイテイオーではない」――そんな声がファンや関係者からも漏れ始めた。

 だが、世間の声に抗うかのように、次戦のGIジャパンCでは世界の強豪を相手に堂々たる横綱相撲の競馬を披露。GI3勝目を挙げた。

 トウカイテイオーの底力を、あらためて思い知らされた。

 しかしながら、ドラマはこれで終わりではなかった。

 ジャパンCを勝ったあと、1番人気に返り咲いた有馬記念ではスタート直後に筋肉を痛めるアクシデントが発生。デビュー以来、初のふた桁着順(11着)に沈んだ。

 その後、5歳春の宝塚記念での復帰を目指して調整を進められたが、レース直前にまたしても骨折が判明。以後、長期休養を強いられる。

 こうして迎えたのが、1993年暮れの有馬記念だった。

 この年、一度もレースを使っていないにもかかわらず、トウカイテイオーはファン投票4位、レースでも4番人気に推された。

 ただ、いかにトップクラスの底力があるとはいえ、レースで走るのは、前の年の有馬記念以来。加えて、同レースではふた桁着順に沈んでいる。それに、出走メンバーには同年のダービー馬ウイニングチケットに、菊花賞馬のビワハヤヒデ、さらに前走でジャパンCを制したレガシーワールドなど、強豪馬がズラリと顔をそろえていた。

 常識的に考えて、勝ち負けするのはさすがに厳しいのではないか、というのが大方のファンの見方であった。現に、単勝の支持は得られたが、馬連などの馬券の軸としては、そこまで信頼されていたわけではなかった。

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