有馬記念で思い出す「世紀の一発屋」。忘れられない遅咲きの名馬たち (3ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

 ダイユウサクは、もともと「ダイコウサク」という名前になるはずだったが、手違いがあってダイユウサクになった、というエピソードの持ち主。デビューしたのも3歳秋と遅く、初戦のダート1800m戦では勝ち馬から13秒も引き離されての最下位というズッコケぶりだった。

 それでも、4歳から勝ち星を挙げるようになり、5歳秋にオープン入り。そこから明け6歳にかけて、オープン特別、オープン特別、GIII金杯と3連勝を飾っている。

 その後も、重賞やオープン特別では善戦を繰り返していたが、GIでは力が足りなかった。有馬記念までにGI出走が2度あったが、マイルCSでの5着が最高位だった。

 そうした状況にあって、ベテランの6歳。伸びしろがあるとは到底思えず、単勝137.9倍で、15頭立てのブービー人気となったことは頷ける。加えて、このレースで単勝1.7倍という断然人気となったメジロマックイーンの「敵ではない」と、多くのファンが判断したことも納得がいく。

 ところが、有馬記念の4角すぎ。道中、中団やや後方でじっと息を潜めていたダイユウサクが馬群の内をついて、他の馬が止まって見えるほどの鋭い脚で伸びてきた。

「これはびっくり、ダイユウサク!」

 実況アナウンサーが思わずそう漏らしたとおり、まさしく誰もが"びっくり"の結末だった。

 大本命メジロマックイーンも1馬身4分の1差で退けた。しかも、勝ちタイムは(当時の)コースレコードだった。

 ただ、ダイユウサクはその後、GIに3戦臨むが、いずれも掲示板にも載らない着外に敗れている。つまり、この時が生涯に一度の大激走だったのだ。

 印象の深さだけでなく、記録に残るという意味で、JRAの最高齢GI勝利記録を持つカンパニーについても、触れておかなければいけないだろう。

 8歳の引退間際になって、それまでずっと勝てなかったGIを立て続けに2つも勝ってしまうのである。"遅咲き"の中でも、傑出した存在と言えるだろう。

 武器は、鋭い末脚。それまでも、多くのレースでメンバー最速の上がりをマークし、その武器を生かして、GII、GIIIのレースは何度も制している。

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