平成最後の有馬記念で、「レジェンド」
オジュウチョウサンに馳せる夢

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Yasuo Ito/AFLO

 それでも、そこからメジロパーマーのサクセスストーリーが始まる。

 競走馬としてのピークを迎えた1992年、GIII新潟大賞典(新潟・芝2200m)を勝つと、その勢いでGI宝塚記念(阪神・芝2200m)も制覇。冒頭でも触れたとおり、年末の有馬記念も制して、2つのグランプリレースで戴冠を果たしているのだ。

 障害で"レジェンド"の域に達したオジュウチョウサンには比べるべくもないが、メジロパーマーも平地では、少なくとも"個性派"として記憶に残る馬だったと言える。

 このメジロパーマーの快挙をきっかけにして、当時「"障害帰り"はなぜ走るのか?」という話題がよく議論された。

 そこでは、障害を走るための稽古を積むことによって、後ろ脚、つまりトモが鍛えられるとか、気性面に問題がある馬には、目先を変えることで、いわゆる"ガス抜き"効果があるとか、我慢を覚えるとか、さまざまな効果が挙げられていた。また、そうした効果とは別に、「いや、メジロパーマーの場合は、たまたま障害を走った時期が成長期にあたり、馬がそこで心身ともにグンと成長した」といった意見もあった。

 おそらく、そのどれもが正解には違いない。

 そのうえで、あえて結論めいたことを言えば、ある種の馬、もともと素質はあるのに気性難とか、馬体的に弱点があるとかで、その力を思うように発揮できない馬は、障害レースを経験することによって"化ける"、すなわち"強い馬になる"ことがあるということだ。

 その点では、メジロパーマーも、オジュウチョウサンも共通する。

"障害帰り"で有馬記念を勝ったメジロパーマーについては言うまでもないが、オジュウチョウサンに至っては、もとは未勝利戦でも見せ場がなかった馬だ。その馬が、500万特別を楽勝し、続けて1000万特別も快勝したのだから、強くなっていることは間違いない。

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