菊花賞の上がり馬、ミッキースワローの「遅れてきた大物」度を検証する (3ページ目)

  • 土屋真光●文 text by Tsuchiya Masamitsu
  • 三浦晃一●撮影 photo by Miura Koichi

 ミッキースワローの戦績は、これまで6戦3勝。セントライト記念で横山典弘騎手に乗り替わるまでは、菊沢一樹騎手が手綱を取っていた。

 年明けの3歳になってからデビューし、2月の新馬戦では出遅れて5着に敗れた。しかしその後、1カ月後の未勝利戦を後方一気の競馬で制すると、中1週で500万条件のひめさゆり賞(4月8日/福島・芝2000m)に臨み、再び強烈な末脚を繰り出して完勝した。

 そうして、ダービー出走をかけて京都新聞杯に挑んだが、惜しくも5着に敗れた。勝ったプラチナムバレットから、コンマ1秒差。確かに仕掛けどころによっては、結果が変わっていたかもしれないレースぶりだった。

 それから、約2カ月半の休養を経て臨んだいわき特別も、木村記者が話すとおり、ちょっとしたことで結果は違っていただろう。木村記者が言う。

「(いわき特別は)小回りの福島で、4コーナーまで最後方を追走。最後も大外を回りながら、直線だけでタイム差なしの3着まで突っ込んできました。前半からもう少し流れに乗っていれば、軽く突き抜けることができたでしょうね。

 とはいえ、伸びのある走りはかなり際立っています。切れ味寄りの父の父であるディープインパクトの直仔よりも、菊花賞の適性ということでは向いているのではないでしょうか」

 木村記者から「直仔より......」という話が出たので、ミッキースワローの血統背景も見てみたい。

 父トーセンホマレボシはディープインパクト産駒。脚部不安のため、日本ダービー出走後に引退してやや地味な存在に映るが、その日本ダービーで3着と好走したように潜在能力は高かった。

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