フランス競馬界で知らぬ者はない、小林智調教師が現地で開業するまで (3ページ目)

  • 小川由紀子●文 text by Ogawa Yukiko  photo by AFP/AFLO

――そこへまた転機が?

小林 牧場の社長さんが育成も始めることになって、僕が育成部門の主任を任されることになりまして。

 でも、「わからないところは聞いてくればいいから」とマネジャーに言われても、そんな時間もないし、1年(育成を)やってみて、「このままでは自分は伸びない」と思いました。研修旅行のときにフランスやイギリスに行った印象も強く頭に残っていて、もっと本場を見てみたいと感じていたこともあったので、退職してフランスに来ることに決めたんです。

――研修旅行での印象がフランス行きのきっかけに?

小林 フランスの研修旅行のとき、パリに着いて、とりあえず安いところをと思って探した宿が、本当に治安の悪い地区にあった酷いホテルで。朝になって英語が話せるタクシーのドライバーさんにシャンティイまで連れてきてもらったんですが、事前に地図で調べていたのにまったく調教場が見つからない。国道脇に停めて、ドライバーさんが道行く人に尋ねたら、それがなんとクリスチャン・ヘッドさんのところの厩務員さんだったんです。

「うちのオーナーは日本人好きだから来いよ!」と厩舎に連れていってくれて、ヘッドさんにも紹介してくれ、ヘッドさんは調教場にも連れていってくれました。当時ヘッドさんのところには200頭以上の馬がいました。それを見て、「うわっ、すごいわ、これ!」と、とにかくびっくりして。それが記憶に残っていたので、いつかフランスかイギリスに行ってみたいと思っていたんですね。

――実際にフランスに来てからは順調に?

小林 当時、2001、2002年と、武豊さんがフランスに長期滞在して、ジョン・ハモンド厩舎の主戦騎手だったんです。それでハモンドさんが、豊さんをサポートできる日本人スタッフがほしい、ということになり、ビザを出してくれることになって。実際に行ってみたら、豊さんのお世話はほとんど必要なくて、厩務員の仕事をやることになったんです。

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