小倉記念で思い出す、「善戦マン」ナイスネイチャが輝いていたあの夏 (4ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • 日刊スポーツ/アフロ●写真 photo by Nikkan sports/AFLO

 以降、上位争いには加わるも、さっぱり勝てなくなった。

「強い」ナイスネイチャが、次第に「ナイスネイチャのような......」といった例えが生まれるような、愛すべきキャラクターの"善戦マン"に変わっていくのである。

 それでも、その後に一度だけ、ナイスネイチャが輝きを取り戻したことがある。

 当時は芝の2000m戦で、GIIだった1994年の高松宮杯(中京。現在GIの高松宮記念の前身)である。

 同レースには、前年のダービー馬であるウイニングチケット、直前のGI宝塚記念で2着となったアイルトンシンボリ、のちにGIジャパンカップを制するマーベラスクラウン、さらに上り馬のスターバレリーナと、豪華メンバーがそろっていた。ナイスネイチャは、そのそうそうたるメンバーを豪快に差し切って、鳴尾記念以来、実に2年半ぶりの勝利を飾ったのだ。

 当時を知る関係者が語る。

「ナイスネイチャが勝った瞬間、まるでGIを勝ったかのような大きな拍手と大歓声が沸き起こった」

 4歳時に鳴尾記念を勝ったあと、ナイスネイチャは30戦もこなしたが、勝ったのはこの1戦のみ。それでも、ファンに愛され続けた。

 ナイスネイチャが最高の輝きを放った短い夏――小倉記念が近づくと、今でもその情景がよみがえってくる。

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