記憶に残る名馬──。函館記念といえば思い出す、サッカーボーイ (2ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • 日刊スポーツ/アフロ●写真 photo by Nikkan sports/AFLO

 彼はデビューから阪神3歳Sまでの4戦で3勝を挙げているが、そのときに2着馬につけた着差は、順に9馬身、10馬身、8馬身。まさに、破壊的なのだ。その圧倒的なパフォーマンスに人々は魅了され、皐月賞を使えないなど順調さを欠きながら、日本ダービーでは1番人気に支持された(結果は15着)。

 日本ダービーでは苦杯を舐めたが、その後、中日スポーツ賞4歳(現3歳)Sで皐月賞馬のヤエノムテキを一蹴。そして圧巻だったのは、続く函館記念(1988年8月21日/函館・芝2000m)だった。前年のダービー馬に5馬身もの差をつけて、しかもレコード勝ち。あの夏の一戦も、それこそ"破壊的"なレースだった。

函館記念を驚異的な強さ、タイムで圧勝したサッカーボーイ函館記念を驚異的な強さ、タイムで圧勝したサッカーボーイ この函館記念については、実は関東のあるジョッキーがこんなことを言っていた。

「あれは、肉を切らせて骨を断つというレースだった」

 レースは、前半のうちは後方に待機していたサッカーボーイが、向こう正面あたりからペースを上げて徐々に進出。外、外を回りながら、3コーナーを回る頃には先行集団に取りついて、直線を向いたときには早くも先頭に立っていた。あとは、後続を引き離す一方。前年のダービー馬メリーナイスが追いかけてくるも、その差はまったく詰まらなかった。

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