僧侶が語る、『アストロ球団』と
ダービーと人生の巡りあわせ

  • 土屋真光●文・写真 text & photo by Tsuchiya Masamitsu

 それと、これは本当に巡り合わせなのですが、父が「空海」という、まさに高野山を開いたお大師さまそのものの作品を描いておりました。

 そう。さきほど、私の生まれはお寺ではなく一般家庭と申しましたが、正しくは一般ではなかったですね。父、中島徳博はかつて「アストロ球団」という漫画を週刊少年ジャンプで連載させていただいた漫画家でした。今回、同じ集英社であるSportivaさんの取材というのも、何かのご縁、巡り合わせではないかと感じております。

 高野山大学は仏教系の大学ではありますが、必ずしも仏門に入らなければならないわけではありません。普通に卒業して、普通に就職する学生もいます。お恥ずかしながら、学業が不出来な私は、あろうことか高野山大学で2回も留年してしまいました。

 大学に6年間も行かせてもらっておいて、手ぶらでは卒業できない、という気持ちが芽生えました。両親への罪滅ぼしの気持ちもあって、僧侶になるためのカリキュラムを、大学6年目の1年間で修得することにしました。これが僧侶になるきっかけでした。

 競馬との出会いは99年の春。春休みを利用して、実家に帰省しておりました。その間に建設会社などで日雇いのアルバイトなどをして、短期間で大学生としては結構な額を稼いだのです。さて、このお金をどうしよう。そこで、同じタイミングで帰省して、同じようにアルバイトで稼いでいた高校時代のラグビー部の友人と思いついたのが、「競馬でこのお金を増やそう」という、業(ごう)の深い発想に至るわけですね。

 もともと、浅田次郎先生の作品などで、文学的なアプローチで競馬というものは知っていましたし、この友人に連れられて川崎競馬にも行ったことこそありましたが、それこそ中央競馬と地方競馬の違いもわかりませんでしたし、競馬そのものはまだ、ちょっと距離のある存在でした。

 仲間内で競馬にものすごく詳しい友人がいたので、3人でチームを作って、前日から朝までファミレスで、ああでもない、こうでもない、これはいくらだ、と検討しました。そして、眠い目をこすりながら、横浜市青葉台から車を飛ばして、なぜか中山競馬場へ。何しろ、競馬に詳しくないので、ウインズ(JRAの場外馬券場)に行くという発想がまるでなかったのです。すごく疲れた記憶が鮮明に残っています。

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