【競馬】藤田伸二騎手、突然の引退に想う「忘れられないレース」 (3ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

 一方、藤田騎手はこのとき、弱冠24歳()。ダービーは、一定のキャリアを積んだベテランでなければ勝てないと言われていた。事実、当時から「天才」と言われていた武豊騎手でも、ダービーの勲章だけはなかなか手にすることができず、それ以前の10年間のダービージョッキーには、増沢末夫、小島太、郷原洋行、柴田政人、南井克巳など、そうそうたるベテラン勢の名前が並んでいる。
※ダービー最年少ジョッキーは、1943年にクリフジで勝った前田長吉騎手。20歳3カ月。戦後、JRAが設立(1954年)されて以降では、1971年にヒカルイマイで勝った田島良保騎手。23歳7カ月。

 藤田騎手は、そうした状況に風穴を開けた。そして、その2年後には29歳の武豊騎手がスペシャルウィークでダービーを制覇。ダービージョッキーも一気に世代交代が進んでいった。

 そうは言っても、藤田騎手の24歳でのダービー制覇というのは、近年では飛び抜けて若い。20代でダービーを制したジョッキーも、その後は前述の武豊騎手とミルコ・デムーロ騎手(2003年にネオユニヴァースで優勝。当時24歳)しかない。

 藤田騎手はそれだけ若くしても、その騎乗ぶりは常に堂々としたものだった。ダービーでも、スタートで出遅れたが、「無理に位置を取りにはいかず、ラチ沿いをぴったりに、距離のロスがないように回ってこようと思った」と、のちに語っている。

 そうして、道中をそのように進めていくと、目の前に武豊騎手が手綱をとる断然人気のダンスインザダークがいた。そこで、藤田騎手は「この馬に、というよりも、ユタカさんについていこう」と決めたという。

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