【競馬】相棒・内田博幸騎手が回想する「ヴィルシーナ物語」

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara

 ヴィルシーナはその後、11月のGIエリザベス女王杯(京都・芝2200m)に参戦した。が、ここでも無念の2着。ジェンティルドンナ不在でチャンスと見られたものの、レース当日の大雨により、重馬場巧者のレインボーダリア(牝。当時5歳)に敗れてしまったのだ。内田騎手は、「ヴィルシーナにとって、あのコンディションは厳しかった。むしろよく走ってくれました」と回顧する。

 3歳時のヴィルシーナは、GI2着を4度も重ねながら、結局タイトルをひとつも取れずにシーズンを終えてしまった。常に全力で、精一杯の走りを見せるヴィルシーナ。そんな彼女にGIを獲らせてあげられなかったスタッフたちの悔しさは、想像するに余りあるものがあったが、翌2013年、ついにその屈辱を晴らす機会が訪れる。

 春の「牝馬女王決定戦」ヴィクトリアマイルである。4歳になったヴィルシーナは、このレースで念願のGIタイトルを手にしたのだ。

 とはいえ、その内容はまさに「薄氷の勝利」だった。1番人気のヴィルシーナは、直線に入ると馬群を抜け出して、堂々と先頭に立ったが、ゴール直前で前年の覇者であるホエールキャプチャ(牝。当時5歳)が強襲。2頭はぴったりと馬体を合わせて、ゴール板を通過した。

 内田騎手は、「(ヴィルシーナに)何とかGIを勝たせたいと思って、最後は必死に追いました。でも、ゴールの瞬間は、どちらが勝ったのか、わからなかったです」と、そのシーンを思い起こしながら語った。

「ゴールしたあとしばらくして、ターフビジョンに僕たちの姿が大きく写し出されていたんです。そのときに、『勝った!』と確信しました。あのときは、本当にうれしかったですね。その前年は負け続けていましたから、陣営とすれば、『ジョッキーを代える』という選択肢もあったと思うんです。でも、オーナーの佐々木さんは『自分の誕生日は2月22日で、現役時代の背番号が22番だから(ヴィルシーナが2着ばかりなのは)仕方ない』と公言したり、厩舎のスタッフはスタッフで『(自分たちにも)まだやるべきことがあったのかもしれない』と反省したりして、関係者の誰もが『ヴィルシーナが勝てなかったのは自分のせいだ』と言って、(誰のせいにもしないで)僕を乗せ続けてくれました。とにかく僕は、その思いに応えたかったですし、あのときは、まさにみんなが『ヴィルシーナに勝利を』という思いでひとつになっていたような気がします。そしてヴィルシーナも、そうしたみんなの気持ちに応えてくれたんだと思いますね」

 ヴィルシーナと、彼女に関わる多くの人たちの情熱、願い、そして思いがひとつになってのGI勝利。その夜は、佐々木オーナーやスタッフたちと、喜びを存分に分かち合ったという。

 それでも、内田騎手にとって「ヴィルシーナのベストレース」は、2013年のヴィクトリアマイルではないという。彼にとってのそれは、ちょうど1年後、連覇を遂げた今年のヴィクトリアマイルだった。そのレースで内田騎手は、「『馬の気持ちを第一に考える』という当たり前の言葉の奥深さを、ヴィルシーナに教えてもらった」という。

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