【競馬】手嶋龍一氏が語る、ハープスター凱旋門賞挑戦の陰に (2ページ目)

  • 土屋真光●取材・文 text by Tsuchiya Masamitsu
  • 千葉 茂●photo by Chiba Shigeru

「僕は純粋種の道産子ですから、小さな頃から馬は身近な存在でした。NHKの記者としての初任地も北海道でしたが、当時、ペキンリュウエンなどのオーナー、盛毓度(せい・いくど)さんから頼まれて、旧社台ファームで馬を求めたことがきっかけで、吉田ファミリーと親しくなったんです。吉田勝己さん(※2)は、毎年、ケンタッキーのセリに出掛ける前は、我が家に逗留していましたね。

(※2)吉田勝己 競走馬生産者、馬主。ノーザンファーム代表。ノーザンホースパーク代表取締役社長、社台スタリオンステーション代表取締役を務める。ディープインパクトやジェンティルドンナほか、名馬を多数生産

 美しいノーザンファームのなかでも、当歳馬の放牧地を見渡すスペースは、とりわけ僕のお気に入りの執筆場所でした。或る日、吉田勝己さんが風のように現れてひとこと呟いていきました。僕は執筆に夢中で「ハイ、ハイ」と生返事をしたらしい。どうやら、それが「キャロットクラブの会長を引き受けてほしい」という打診だったようです。ちょうど『キャロットクラブ』のシステムを一新するタイミングで、馬のことを心から愛していて、しかもビジネスとしない人を探していたのだそうです。勝巳さんの頼み事はたいていイエスということにしているんですが、実は全く覚えてないんですよ(笑)」
 
 手嶋龍一氏の存在が日本のお茶の間にも知られるきっかけとなった9.11テロ事件では、前日まで勝己氏がワシントンの手嶋宅に滞在していたという。このとき勝己氏が泊まっていなければ、あの大事件の現場を留守にしていたかもしれなかった、と人の縁の不思議さを感じたと振り返る。

 テレビの画面では、どんなに議論が激昂しても、冷静な語り口を崩さない手嶋氏だが、キャロットの馬の勝ち負けがかかると、別人のようになって応援するという。

「弥生賞のときに、ニッポン放送の中継でゲストに招かれました。このとき、キャロットのトゥザワールドが勝ったのですが、直線で抜け出したときに思わず競馬新聞を丸めて、机を思い切り叩いて大声を出してしまった。両隣の放送ブースからは、担当ディレクターがお叱りを受けてしまったようです。反省しています(笑)」

 穏やかな手嶋さんのイメージから想像しづらいエピソードだが、ハープスターが凱旋門賞を目指すことが初めて語られたのもこの日だった。

札幌記念を快勝したハープスター。調子を上げて、凱旋門賞に挑む札幌記念を快勝したハープスター。調子を上げて、凱旋門賞に挑む

 桜花賞は後方一気の末脚で制したものの、オークスではヌーヴォレコルトの後塵を拝する結果になったが、秋の目標は凱旋門賞という路線はぶれなかった。

「秋華賞など国内も大きなレースがあるのに、なぜとよく聞かれます。勝己さんが率いるノーザンファームはおもしろい組織で、事前に会議を開いて何かを相談することなどないんですよ。早朝の追い運動のときにボソボソという感じですね。様々な要素を忖度(そんたく)して自然に結論を出してしまう。敢えて、勝己さんというホースマンの胸のうちを代弁すれば、世界最高峰のレース、凱旋門賞にディープインパクトやオルフェーヴルが挑んで果たせなかった勝利のチャンスがあるなら、チャレンジするということでしょう。迷いは全くなかったと思います」

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