【競馬】愛馬のダービー制覇に落ち込んだ生産者の「胸中」 (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • JRA●写真

 パカパカファームが開場するまでは、名門のサンシャイン牧場(北海道日高町)で働いていた伊藤氏。2001年、スウィーニィ氏がパカパカファーム開場に向けてサンシャイン牧場の土地を買い取った際、同時にこの異色の牧場に“移籍”することになった。当時、まだ23歳だった彼は、不安しかなかった。

「(牧場を)開場したとき、スタッフは社長(スウィーニィ氏)と僕ともうひとりだけでした。社長に対しての信頼は……、最初はなかった、というのが本音ですね(笑)。僕はまだ大学を出て1年ほどでしたし、牧場で何をすればいいかわからないことのほうが多かった。先行きが不安になって、当初は辞めることばかり考えていました。でも、スタッフの人数が人数でしたから、僕が辞めてしまったら、社長が困るだろうな、という思いもあって。なんだかんだ働き続けてきてしまいました(笑)。もちろん、今は辞めたいとは思っていませんよ」

 たった3人でスタートした牧場から、わずか11年で日本ダービー馬が誕生した。伊藤氏も、「11年前は、まさかダービー馬を出すような牧場になるなんて思ってもいなかった」という。

 今では、スウィーニィ氏が事あるごとに「グッドホースマン」と評するほど、厚い信頼を置く伊藤氏。ダービー後はしばらく悔恨の情にかられていたが、牧場の仕事を黙々とこなしながら、やがて新しい目標が生まれたという。

「今の夢は、うちの生産馬でもう一度ダービーを勝つこと。そして、そのときこそ、その馬の単勝を買うこと。ブリランテの単勝を買えなかったことはずっと心残りなので、次こそは生産馬を信じたい。あくまで夢ですが、次に生産馬がダービーに出るときは、最後まで勝利を信じて応援したいと思っています」

 ダービー勝利という瞬間にわき上がった悔しさと、その思いを胸に秘めて新たに打ち立てた目標。その強い気持ちが、ディープブリランテに続く名馬を生む原動力になるのは間違いないだろう。

 さて、そんな伊藤氏とは対照的に、レース後は至福のときを過ごしていたスウィーニィ氏。だが、彼が本当の意味でダービーの勝利を実感したのは、北海道に戻ってからだという。次回は、ディープブリランテのダービー制覇が、パカパカファームにもたらした喧騒に迫る。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
『パカパカファーム』facebook>

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