【競馬】愛馬のダービー制覇に落ち込んだ生産者の「胸中」 (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • JRA●写真

 夫人は、来日から20年以上にわたって、スウィーニィ氏の異国での挑戦をずっとサポートしてきた。「本来なら、ダービーを勝つチャンスだから、妻も東京競馬場に呼びたかった」とスウィーニィ氏。しかし同じ時期に、アイルランドに住む息子(当時17歳)の重要な進学試験があった。「妻が家を空けると、子どもが大変になる」という理由から、東京競馬場に招くのは諦めたという。

 夫人と喜びを分かち合うことはできなかったものの、スウィーニィ氏はレース後の表彰式で、ディープブリランテを管理する矢作芳人調教師や岩田康誠ジョッキーとともに歓喜に酔いしれた。日本に来てからの日々を思い返しながら、幸せに満たされていたに違いない。

 一方その傍らで、なぜか浮かない表情でたたずんでいた人物がいた。パカパカファームのフォーリングマネージャー(生産担当)である伊藤貴弘氏だ。

 自分が手がけた生産馬が、競馬界最高峰のタイトルを取った瞬間である。誰もが笑顔で勝利を噛みしめているにもかかわらず、彼だけは「喜びの実感はなく、ずっと自分自身を責めていました」という。その後悔の理由は、実は彼が買った馬券にあった。

 伊藤氏は、これまでディープブリランテが参戦したレースにおいて、常に応援の意味で単勝の馬券を買っていた。だが、このダービーだけは複勝を購入。そして、ディープブリランテの勝利が確定したとき、彼は真っ先に「どうして単勝を買えなかったのだろう」と嘆いたという。

「もちろん、お金の問題ではないんですよ(笑)。『どうして、ブリランテの勝利を最後まで信じてやれなかったんだろう』と、悔しさで一杯になってしまって......。それも、日本ダービーという一番大事な舞台で......。とにかく馬への申し訳なさで、とても喜ぶ気になれず、ただただ自分を責めていました」

 スタート前からレース中、そして直線の攻防に至るまで、一貫して「ダービーを勝つイメージがわかなかった」と語っていた伊藤氏。かたや全力を振り絞って、見事勝利をつかんだディープブリランテ。自らが出産に立ち会った愛馬は、伊藤氏の気持ちとは裏腹に、懸命に走って栄冠をモノにした。その姿が脳裏に焼きついて、「北海道に帰る飛行機の中でも、ずっと落ち込んでいた」という。

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