2014.05.11

【競馬】実は「ダービー断念」を進言していたブリランテの生産者

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • JRA●写真

 だが、スウィーニィ氏だけは、敗戦への悔しさを隠し切れなかった。

「皐月賞で3着ですから、これは素晴らしい善戦。ディープブリランテの実力は確かです。それでも、負けたことに変わりはありません。たとえその差がわずかであっても、1着と2着以下では、その後の評価が大きく変わってしまうのがサラブレッドの世界。ディープブリランテは強い馬だと思っていたからこそ、なかなか勝てない状況にもどかしさを感じていました」

 皐月賞のあと、ディープブリランテは二冠目の日本ダービー(2012年5月27日/東京・芝2400m)へ向かうこととなった。このローテーションは当初からの既定路線。陣営にとっては「予定どおり」の判断だったが、そこでもスウィーニィ氏の意見だけは違った。皐月賞から距離が400m延びる日本ダービーよりも、逆に400m距離が短縮されるNHKマイルカップ(2012年5月6日/東京・芝1600m)への参戦を望んだという。

「ディープブリランテは能力があるけれども、ダービーを勝つイメージが浮かびませんでした。距離が長くなるダービーでは、周りのペースが遅くなり、さらにリラックスするのが難しくなりますから。でも、NHKマイルカップなら違います。距離が短くなればペースが速くなりますから、その流れの中でリラックスできるかもしれません」

 このような理由から、“距離短縮”を希望したスウィーニィ氏。とはいえ、競走馬は馬主に引き取られた時点で、生産者の所有馬ではなくなる。ディープブリランテの次走についても、スウィーニィ氏に権限があるわけではなかった。

「レースの選択や作戦について、私が口を挟む立場ではありません。もちろんそれはよくわかっています。でも、このときはつい熱くなってしまいました。(ディープブリランテを購入した)ノーザンファームを訪れた際には、スタッフの方々に路線を変更すべきだとアピールしましたし、(ディープブリランテの管理調教師である)矢作(芳人)さんには、『NHKマイルカップに行きましょう』と進言しました(笑)。つまりそのくらい、ディープブリランテにGIを勝ってほしかったんです」

 当時、このような主張をしていたのは、決してスウィーニィ氏だけではなかった。同じような声はいくつか挙がっていた。それでも陣営は、あくまで日本ダービーへの挑戦を貫いた。

 決戦は、皐月賞から1カ月半後の東京競馬場。次回は、日本ダービーまでのパカパカファームの日々を追いかける。

(つづく)

   ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
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