【競馬】実況の神様・杉本清が語る「忘れられない桜花賞」 (3ページ目)

  • 河合力●構成 text by Kawai Chikara
  • JRA●写真

 だって、どう考えても「後ろからは何にも来ない」という表現はおかしいですから。2番手が“来ない”わけないんです。離れているだけで、来てはいるじゃないですか(笑)。もう無我夢中だったんです。

 本来は、きちんと2番手争いの様子を伝えるのが正解。でも私は、「何にも来ない」と言い切ってしまった。ですから、のちにこんなに褒めていただけるとは、当時まったく思いませんでしたね。

 テスコガビーは桜花賞のあと、オークストライアルでまさかの3着。その敗戦から、二冠目のオークスでは不安視する声もありました。

 でも私は、「勝つに決まっている」と思いましたよ。桜花賞であんな圧勝をやってのけたんですから。実況しながら驚くほどの強さを見せつけられたテスコガビーが負けるわけない。そう考えながら見ていたら、やはり8馬身差の圧勝。テスコガビーはますます忘れられない一頭になりました。

 もうひとつ思い出深いのは、1988年。アラホウトクが勝った桜花賞ですね。後輩の馬場(※関西テレビ・馬場鉄志アナウンサー)に、初めて実況担当を譲ったときです。当時は「なんで、杉本が桜花賞を実況しないんだ」という声もいただいたようですが、これにはちょっとした経緯がありました。

 桜花賞の週は、例年ゴルフのマスターズトーナメントがアメリカで行なわれています。私は当時ゴルフの実況もしていたのですが、実はその年、ゴルフ担当のプロデューサーから「杉本を現地に行かせてマスターズを取材させよう」という案が出たんです。

 それを聞いた競馬担当のプロデューサーは激怒。即刻、反対していましたが、当の私は両プロデューサーの手前、どっちつかずの態度でいました。ただ心の底では、海の向こうに気持ちが行っていましたよ(笑)。「マスターズに行けるチャンスなんて二度とない。何としてもアメリカに行きたい」と。マスターズの見学なんて、なかなか体験できないことですからね。競馬を担当していた当時のスタッフには申し訳ないのですが……。

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