【競馬】生産者を落胆させたディープブリランテの「意外な姿」 (3ページ目)

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

 この日も競馬場にいたスウィーニィ氏は、共同通信杯のときとは比べものにならないほど落ち込んだという。

「スプリングSの敗戦はとてもショックでした。この連敗にはかなり落胆したのを思い出します。2連勝のときから一転して、ダービーへの希望は私の中で消えかけていきました。ですから、この時期は、ひたすらヤケ酒を浴びていましたね(笑)」

 パカパカファームのスタッフたちも、この連敗には大きく落ち込んだ。スタッフ同士でも、ディープブリランテの話題に触れるのはつらかったという。もちろん伊藤氏も同様だった。

「自分が牧場に勤めて10年以上経ちますが、今まで見てきた中でディープブリランテは別格の馬です。でも、そのディープブリランテでさえ、クラシックを前に連敗してしまいました。だからこそ、『やっぱりクラシックって遠いんだな』と身に染みて感じましたね。あのディープブリランテでも厳しいというところに、ショックを受けたんです」

 4戦2勝、2着2回という安定した成績。しかもデビュー戦以降は、クラシックに関わりの深い重賞3レースに挑んで、どれも勝ち負けを演じている。本来ならば、その成績は十分に誇れるもので、堂々とクラシックにも臨めるはずだ。しかし、ディープブリランテは1800mのレースで引っかかってしまった。その姿は、今後を考えるうえで、どうしても大きなマイナス材料に見えてしまったのだ。

 それを表すように、前4戦はすべて1番人気でレースを迎えたディープブリランテだが、5戦目となったクラシック第1弾のGI皐月賞(2012年4月15日/中山・芝2000m)では、3番人気だった。その中で、パカパカファームの人たちはどうレースを見ていたのか。

 次回は、期待と不安の入り混じる中で迎えた皐月賞でのディープブリランテに迫る。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
『パカパカファーム』facebook>

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