【競馬】パカパカファームの基礎を築いた、歴代の「名馬」 (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • 写真提供:パカパカファーム

 そして、カウアイレーンは、2006年のセレクトセールに上場され、3675万円で落札された。落札したのは、日本の競馬をけん引する社台グループ(※購買者は、社台ファーム代表・吉田照哉氏の妻、吉田千津氏)。日本を代表する大牧場が、カウアイレーンの素質を評価し落札してくれたことで、スウィーニィ氏は「ますますデビューが楽しみになった」という。

 その期待にカウアイレーンは応えた。2008年にデビューし、2011年まで現役生活を送って、18戦5勝の成績を残した。4歳時には、GIIIのクイーンS(札幌・芝1800m)で勝ち馬からわずかコンマ2秒差の3着と健闘。オープンのターコイズS(中山・芝1600m)では、重賞でも活躍する面々を抑えて快勝し、生涯獲得賞金は8019万6000円に達した。

 2005年に生まれた牡馬ドラゴンファングも、重賞戦線で活躍した1頭だ。3歳春にデビューし、その秋に本格化すると、3連勝で一気にオープンクラスへ昇格。4歳になって重賞初挑戦となった2009年のGIII阪急杯(阪神・芝1400m)では、武豊騎手を背にして3着入線を果たした。

 その後も、GⅡ阪神カップ(阪神・芝1400m)、GIII函館スプリントS(函館・芝1200m)といった重賞レースで4着という好走。生涯獲得賞金は、1億218万8000円に上った。

 ドラゴンファングの父はタイキシャトル、母はタイキメビウス。ともにスウィーニィ氏が来日直後に過ごした大樹ファームゆかりの血統である。また、ドラゴンファングを管理していたのは、のちにディープブリランテを預かる矢作芳人調教師。ドラゴンファングは、さまざまな縁が絡んだ一頭と言えるかもしれない。

 ここで挙げた馬以外にも、パカパカファームの発展に貢献した馬たちは数多くいる。その馬たちの存在があるからこそ、今の繁栄があると言っても過言ではない。GIを制した名馬とともに、これらの馬たちもパカパカファームの歴史の中で語り継がれていくのだろう。

  ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
『パカパカファーム』facebook>

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