【競馬】ダービー馬ディープブリランテはこうして誕生した (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • 写真提供:パカパカファーム

 そして2008年に生まれたのが、牝馬のハブルバブルだった。ハブルバブルのキャリアはわずか5戦と短かったが、GIIIフラワーカップで2着に好走。牝馬クラシック戦線に参入するなど、素質の片りんを見せた。

 ハブルバブルが生まれたその年、スウィーニィ氏は、2年連続でラヴアンドバブルズにディープインパクトを配合することを決める。種付け料は変わらず1200万円。小規模の牧場にとっては勇気のいる決断だが、彼は2頭の相性を信じた。

 1年後の春、2009年5月8日に生まれたのが、ディープブリランテだ。

「生まれた仔馬を見たとき、これは素晴らしい馬だと思いました。とにかく馬体が雄大で、しかも体のバランスが良かったんです。『この馬なら大活躍する』と本気で信じられましたね。決して、あとから話を作っているわけではありませんよ(笑)。大きなレースでの勝利を意識してしまうほど、素晴らしい馬だったんです」

 スウィーニィ氏は、当時の興奮を身ぶり手ぶりで話す。生まれたばかりのディープブリランテの印象は、今もなお、彼の中に強烈に残っているのだった。

 類(たぐい)まれな馬体を持って生まれたディープブリランテ。次回からは、同馬が誕生する瞬間のエピソードから、ダービー馬となるまでの軌跡をたどっていく。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
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