【競馬】常識を覆した「女帝」。永遠に受け継がれるエアグルーヴの魂 (2ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Nikkan sports

 はたしてその数分後、エアグルーヴは、堂々たる横綱競馬で快勝した。

 鞍上の武豊騎手は、まるで評論家の言葉を聞いて、それに反発するかのようにして、エアグルーヴを導いた。最後の直線で追い出しにかかるバブルガムフェローに、文字通り「外から」馬体を合わせて並びかけていった。そして、一旦前に出るや、そこから一歩も譲らず、ゴールに飛び込んだ。

 クビ差の勝利。だが、力が上の馬であることを示す、大きな差だった。

 ゴール後、武豊騎手も誇らしげだった。
「奇襲などで勝ったのではない。正攻法の競馬で、ねじ伏せて勝ったのだ」
 その表情からは、そんな痛快なメッセージが読み取れた。

「エアグルーヴ死す」という一報を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは、この天皇賞・秋のシーンだ。

 そして、改めて思うことは、エアグルーヴのあの勝利は、ただ勝ったことに意味があるのではない。牡馬最強のバブルガムフェローを"ねじ伏せて勝った"ことに、大きな意味があるということだ。

 展開が味方したわけはなかった。意表を突いたわけでもなかった。あくまでも、力と力が正面からぶつかり合う、ガチンコ勝負で、ねじ伏せて勝った。だからこそ、牝馬として17年ぶりに天皇賞・秋を制したという記録もさることながら、それ以上に、日本競馬界の常識を覆(くつがえ)し、「女帝」とさえ呼ばれた強い牝馬として、鮮明に記憶に残るのだ。

 父は凱旋門賞馬トニービンで、母がオークス馬のダイナカール。超のつく良血だが、デビュー前はその血統レベルほど注目度が高かったわけではなかった。なにしろ、エアグルーヴが生まれる前のダイナカール産駒は3頭いたが、どれも期待を大きく裏切っていたからだ。

 それでも、生産牧場では、種牡馬1年目から大ブレイクしているトニービンを新たな伴侶に迎えたことで、ダイナカールの4番目の子は「必ず走る」と確信していた。

 デビューは、1995年夏の札幌。2戦目で初勝利を挙げると、3戦目のオープン特別(いちょうS)では、早くも競走馬としての非凡さを見せた。直線に入ってから、鞍上の武豊騎手が立ち上がるほど大きな不利を受けたものの、そこから体勢を立て直すと、他馬とは一段ギアが違う末脚を披露。あっという間に前を走る馬たちを差し切ってしまったのだ。

 このレースを見て、当時のあるトップジョッキーがこう漏らした。
「とても届きそうもないところから差し切ったり、そういう常識外れのパフォーマンスをするのが一流馬。あの馬は、間違いなく一級品だ」

 牧場のスタッフが確信していたように、それまでのダイナカール産駒とは、明らかにレベルが違った。

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