【競馬】前例のない外国人による牧場開場は、どうやって実現できたのか

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

一面雪景色のパカパカファーム。それでも仔馬たちは元気に外で過ごしていた一面雪景色のパカパカファーム。それでも仔馬たちは元気に外で過ごしていた『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第11回

開場わずか11年でダービー馬ディープブリランテを輩出した『パカパカファーム』(北海道新冠町)の成功の秘密を探っていく好評連載。今回は、同牧場のオーナーであるアイルランド人のハリー・スウィーニィ氏が、"外国人"というハンデを抱えながら、どうやって日本で牧場を開くことができたのか、その真相に迫る――。

 ハリー・スウィーニィ氏が、待兼牧場(北海道日高町)を辞めたのが、1998年。それから3年間は、個人のトレーダーとして繁殖牝馬の輸出や、仔馬のピンフッキング(日本で購入した仔馬を調教し、海外のトレーニングセールなどで売却)などの競馬ビジネスを手掛け、2001年にパカパカファームを開場した。

 しかし、外国人が日本で農地を取得し、馬産を行なうことは並大抵のことではない。当然、スウィーニィ氏もその壁に直面するが、彼が「日本でも牧場を作れる」と信じて疑わなかったのは、トレーダー初期に遭遇したある出来事が背景にあった。

「フリーになってしばらく経った頃、私は日高軽種馬農業協同組合(HBA)に赴(おもむ)き、組合員になるための申請を出しました。その際に必要な頭金も、現金で持っていきましたよ。でも、そこで予想外の出来事が起きました。申請は、あえなく却下されてしまったんです。当然、私は理由を尋ねました。そのときに言われたのは、『外国人だから』ということだけ。それが一番の理由でした。

 あれは、本当に信じられないことでしたね。私は、その時点で10年近く日本の競馬に携(たずさ)わっていましたから、地元の競馬関係者は皆、私のことを知っています。それでも『外国人』という理由だけで、平等に参加できない。悔しくて、悔しくて......、とてもショックでした。

 私はそれから、日本で馬産を行なうためのさまざまなルールを調べました。農地法はもちろんのこと、牧場経営に関わるいろいろな行政機関のルールを隅から隅まで読みました。そして、わかったことがありました。どのルールにも、外国人を規制するような表現はない、ということです」

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