【競馬】外国人ホースマンが試みた『ピンフッキング』という異色ビジネス (3ページ目)

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

「まして、馬を売るのは、個人の、しかも外国人の私です。すると、不安を抱く方も多いでしょうし、いろいろと難しい問題や障害もあると思うんです。そのような自分の立場や、日本でのピンフッキングの認知などを考えた結果、私は購入した仔馬を海外のトレーニングセールで売ったほうが良いのではないか、という結論に達しました」

 こうしてスウィーニィ氏は、日本で購入した仔馬をトレーニングし、イギリスやアメリカで売却する形のピンフッキングに取り掛かる。そして彼は、繁殖牝馬の輸出と同様、「(仔馬を)日本で購入するからこそ生まれるメリット」にこだわった。

「ピンフッキングにおいて最も大切なのは、能力のある馬を見極め、きちんとした育成を施して、トレーニングセールで素晴らしい走りを見せること。それが実現できれば、自然と(仔馬の)価格は上がるでしょう。でも、それだけでは私が日本にいる意味がありません。確実に成功するためには、走りのパフォーマンスとともに、アメリカやヨーロッパのバイヤーたちが喜ぶ付加価値をつけることが大切。日本のセリ市で買った馬なら、それが可能だと思ったのです」

 スウィーニィ氏が考えた「付加価値」。そのカギとなったのは、やはり「血(血統)への着目」だった。が、その核となる部分は、繁殖牝馬の輸出ビジネスにおける利点となったダンシングブレーヴにまつわるアイデア(「アイルランド人だからこそ見出せた、新たな競馬ビジネス」1月20日配信)とは、似て非なるものだった。

 次回は、日本から海外へのピンフッキングにおいて、スウィーニィ氏がどのような付加価値を仔馬につけていったのか。その戦略に迫る。

(つづく)

ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

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