2013.01.06

【競馬】冠名「マチカネ」全盛時代に、外国人牧場長が抱えた悩み

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

 なぜ、スウィーニィ氏は日本の大学に行かせることを躊躇したのか。彼は、日本の大学に懐疑的だったわけではない。しかし、英語圏のアイルランドで育ち、イギリスやアメリカなど世界中の大学を進学先の候補として選ぶことができた自分と、日本語だけを学んで日本の大学の中から進学先を選ぶ子どもの将来とを比べたとき、それが子どもにとって良いことなのか、疑問に感じたのだ。次第に「子どもたちはアイルランドで暮らすべきだ」という考えが、彼の中に芽生えた。

「もちろん、私は家族と一緒にいたいです。しかし、大学生活は子どもにとって、将来につながる大切な時間。だからこそ、進学先の選択肢は、少しでも多いほうがいいと思ったのです。私自身の人生のために、子どもの将来を限定してはいけない。何度も自分にそう言い聞かせて、家族と離れ離れに暮らす決断を下しました。寂しくて仕方なかったですけどね」

 こうして1998年、スウィーニィ氏の夫人と4人の子どもたちはアイルランドに帰国した。以来、スウィーニィ氏は日本での単身生活を続けている。

 その間、毎年クリスマスにはスウィーニィ氏がアイルランドへ行き、反対に夏休みの時期になると夫人と子どもたちが来日し、約2カ月間、日本に滞在する。その昔、北海道の保育所に通っていた長男は今、大学3年生になったという。

「ディープブリランテで日本ダービーを勝ったときは、レース直後にまず、アイルランドの家族に電話しました。みんなとても喜んでくれましたね。母国の競馬新聞にもこの勝利が取り上げられたようで、何度も記事を見返していたみたいですよ」

 そう語るスウィーニィ氏の表情は、まさに幸せな父親のものだったが、実は単身生活を決意した直後の1999年、彼は新たに大きな決断をしている。それは、成果の出ていた待兼牧場を辞め、先進的かつ画期的なチャレンジを日本で試みるということだった。

 そのチャレンジは、まさに「日本競馬を熟知したアイルランド人だからこそ見出せたビジネスチャンス」と言っていいだろう。次回は、スウィーニィ氏の新たな挑戦に迫っていく。

(つづく)

 ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。