【競馬】外国人牧場長が頭を悩ませた、日本競馬のふたつの「特殊性」

  • 河合 力●文 text&photo by Kawai Chikara

 スウィーニィ氏が日本の競馬に感じたふたつの「特殊性」。結局これが、5年間場長を務めた大樹ファームから待兼牧場へと移る決断の理由となった。

「待兼牧場があるのは、馬産の中心地である日高。そして、待兼牧場の競走馬はほとんどが関西所属。大樹ファームの場長として一定の役割を果たせたと感じていた私は、大樹ファームとはまったく違った環境の牧場で働くことに興味を感じたのです」

 さらに、当時の待兼牧場は競走馬の生産ではなく、育成(デビュー前の競走馬に基礎体力やしつけを身につけさせる)がメイン。これも「大樹ファームとは違う新たな環境だった」という。このようなことから、待兼牧場のオーナーに誘いを受けたスウィーニィ氏は1995年に大樹ファームを離れ、待兼牧場の全権総支配人となった。

 待兼牧場で働いた約3年間は、「いろいろと苦労もあったが、とても充実した時間だった」と、スウィーニィ氏は振り返る。しかし一方で、「この時期は家族のこと、特に子どもの教育で本当に悩みました」という。いったい、そこにはどのような問題があったのか。次回は、スウィーニィ氏の待兼牧場総支配人としての奮闘と、父親としての葛藤について描いていく。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長を務める。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

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