【競馬】外国人牧場長が頭を悩ませた、日本競馬のふたつの「特殊性」 (2ページ目)

  • 河合 力●文 text&photo by Kawai Chikara

 同時に、「タイキシャーロックの勝利は、大樹ファームにとっても特別な意味を持つものだったのではないか」という。スウィーニィ氏がそう考える背景には、大樹ファームの場長を務める中で感じた「日本の馬産地における特殊性」にある。

「日本の競走馬の生産は、ほとんど北海道で行なわれていますが、北海道のいたるところにサラブレッドの牧場があるわけではありません。牧場は静内や日高など、特定の地域に集中しているのです。大樹町(大樹ファームの所在地)は、そのような『馬産の中心地』から離れた場所にありました。ですから、最初の数年は、バイヤーや調教師の方々に生産牧場としての大樹ファームを知ってもらうことがとても大変でした」

 牧場回りをするバイヤーや調教師にとって、北海道という広大な土地の中で、あちこちの牧場に行くのは決して楽ではない。まして、牧場が極端に密集しているという特殊性があれば、そこから離れた場所に位置する牧場に足を運ぶのは、余計に面倒なこと。大樹ファームは当初、そのハンデに苦しんでいた。

 ゆえに、大樹ファームで働いていたスウィーニィ氏は、「活躍馬を生産すること」が何より重要だと考えていた。そうすれば、多少離れた場所にあっても、バイヤーや調教師の関心が大樹ファームに向くことになる。つまりタイキシャーロックは、その役目を見事に果たしたのである。

「日本競馬の特殊性」という意味ではもうひとつ、競馬界における"西高東低"現象に、スウィーニィ氏はいろいろと考えさせられたことがあったという。

 日本の競走馬は、茨城県の美浦トレーニングセンターか、滋賀県の栗東トレーニングセンターのどちらかで、調教師のもとトレーニングを行なってレースに臨む。そのため、美浦の調教師が管理する馬は「関東馬」、栗東の調教師が管理する馬は「関西馬」となるのだが、実はここ20年近く、主要レースのほとんどは関西馬が制している。実際、過去20年の日本ダービー勝ち馬を見ても、関東馬の優勝はわずか2回しかない。こうした状況は、ちょうどスウィーニィ氏が来日した1990年頃から顕著になっていた。

「アイルランドやイギリスでも、個人レベルで見れば、飛び抜けて成績の良い調教師はいますが、日本のように東と西という地域単位でここまで差がついてしまうのは不思議でした。当時、タイキの馬はほとんどが関東所属で、『西高東低』など忘れさせてくれる活躍をしましたが、反面、私は今後、関西の調教師ともコネクションを作っていくことが重要だと思っていました」

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