【競馬】外国人牧場長が頭を悩ませた、日本競馬のふたつの「特殊性」

  • 河合 力●文 text&photo by Kawai Chikara

スタッフとともに生産馬の状態をチェックするスウィーニィ氏(写真左から2番目)。スタッフとともに生産馬の状態をチェックするスウィーニィ氏(写真左から2番目)。『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第5回

『パカパカファーム』(北海道新冠町)を開いたアイルランド人、ハリー・スウィーニィ氏の半生をたどり、同牧場の成功の秘密を探っていく好評連載。今回は、スウィーニィ氏が来日後、ふたつ目の牧場に移った経緯に迫る――。

 日本の競走馬生産は、この十数年の間に飛躍的な成長を遂げたと言っていい。例えば、12月16日に行なわれるGI朝日杯フューチュリティSの出走馬を見てみると、アメリカやヨーロッパなど海外で生まれ、輸入された競走馬、いわゆる外国産馬の登録はエーシントップとマイネルエテルネルの2頭のみ。他のレースにおいても内国産馬優勢は明らかで、外国産馬が近年ビッグレースを勝つことは稀(まれ)だ。

 しかし今から15年前、1997年の朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティS)を振り返ると、状況はまったく異なる。出走馬15頭のうち、なんと11頭が外国産馬。レースでも掲示板(5着まで)を外国産馬が独占する状態だった。この年を含めてその後2、3年は、他のレースでも外国産馬の活躍が目立ち、海外のレベルの高さを誰もが痛感する時代だった。

 外国産馬優勢の先駆け的な存在だったのは、「タイキ」と冠名がついた馬たちだ。安田記念優勝のタイキブリザードや、海外GIを制したタイキシャトルなど、"タイキ軍団"の活躍馬のほとんどは、海外の牧場で生産され、輸入されたサラブレッドだった。

 そうした状況の中、『大樹ファーム』(北海道大樹町)で生まれた内国産馬タイキシャーロックが、地方競馬でありながらもGIレースを制した。「あのときは、本当にうれしかった」と、1990年から5年間、大樹ファームの場長を務めたハリー・スウィーニィ氏(現パカパカファーム代表)は語る。

「タイキシャーロックがGIマイルチャンピオンシップ南部杯(盛岡・ダート1600m)を制したのは、1997年。そのとき、私は大樹ファームを辞めて『待兼(まちかね)牧場』(北海道日高町)で働いていましたが、同馬が生まれたのは、私が(大樹ファームの)場長時代の1992年ですから、もちろん喜びましたよ。生産から手掛けた馬が活躍したことは、私の中で大きな自信になりました」

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