【競馬】パカパカファーム物語。アイルランド人が日本の牧場経営に挑戦したワケ (2ページ目)

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

 パカパカファームは、2001年に設立された北海道新冠町の競走馬生産牧場。開場からわずか11年で「競馬界における最高の栄誉」を手にした、新進気鋭の牧場だ。

「ダービーの前は、岩田康誠騎手(ディープブリランテの主戦ジョッキー)になりきって、毎日レースのシミュレーションをしていました。事あるごとに頭の中で展開を想像したり、最後の直線に見立てて仕事の手を早めたり......(笑)。どうやらその甲斐があったようですね」

 栄冠を手にした出来事を、彼は冗談交じりに笑顔で振り返った。しかし、アイルランド人が日本で牧場を開き、ダービー馬を輩出するまでには、想像を絶する苦労があったに違いない。

 その第一と言えるのが、「日本で牧場を開く」という決断だ。1990年、スウィーニィ氏は当時、まだ開場したばかりの『大樹ファーム』に獣医師として招かれて来日。それから大樹ファームの場長、『待兼(まちかね)牧場』の全権総支配人を歴任。その後、自ら日本で牧場を経営したいと考え、パカパカファーム設立へ動き出した。

 だが、日本で農地を取得し、農業を営もうとすれば、農地法という厳格なルールに直面する。「日本では"誰が"農地を取得するかが非常に重要なようでした」とスウィーニィ氏が言うように、外国人が新たに農地を獲得して農業を営むには非常に厳しい審査が伴う。

「いろいろな人に相談したとき、ほとんどの人が『無理だ』と言いました。でも私は、さまざまなルールをすべて調べたときに『可能性はある』と感じたんです」

 その言葉通り、スウィーニィ氏は決断を曲げず、牧場設立を実現した。彼がここまで日本での開場にこだわった理由には「日本競馬のシステムの素晴らしさ」がある。

 日本の競馬における賞金の高さは、世界でもトップクラス。さらに、競走馬の実績ごとに細かくクラス分けされた競走体系は、必ずしも一流の能力を持たない競走馬でも活躍の場が与えられるシステムになっている。つまり、あらゆる能力の馬が何年にもわたり、多かれ少なかれ賞金を稼ぐことができる。ここまで細かく完成されたシステムで競馬を行なう国は、世界中を探してもほとんどない。スウィーニィ氏は、そのシステムに大きなビジネスチャンスを感じたのだ。

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