【今日は何の日?】松田直樹が生まれる

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Yanagawa Go

2009年7月、名波浩氏との対談取材にて「サッカーがますます面白くなっている」と笑顔で語っていた故・松田直樹。2009年7月、名波浩氏との対談取材にて「サッカーがますます面白くなっている」と笑顔で語っていた故・松田直樹。【1977年3月14日】
サッカーを誰よりも愛した男の誕生日

 2011年8月、34歳の若さでこの世を去った松田直樹は、数カ月後に王貞治が756本塁打を達成する1977年春、群馬県桐生市で生まれた。当時は、野球人気が全盛の時代。サッカーはマイナースポーツだったが、松田少年はボールを追いかけることに夢中になった。

 そんな彼が、サッカー界の表舞台に登場したのは、ちょうどJリーグが開幕した1993年だった。日本で開催されたU-17世界選手権で、U-17代表のDFとして奮闘。グループリーグ3戦目のメキシコ戦ではゴールを決め、日本を世界8強に導いた。以来、同学年の中田英寿とともに、1995年ワールドユース、1996年アトランタ五輪と、年代別の代表で活躍。その後、A代表でも躍動し、世界有数のFWと互角に渡り合った。

 Jリーグでも、すぐに頭角を現して脚光を浴びた。前橋育英高卒業後、あえて代表DFの井原正巳と小村徳男が在籍する横浜マリノスに入団。自ら厳しい道を選択するも、すかさずポジション争いに加わって33試合に出場。リーグ優勝に貢献した。2003年、2004年には2年連続で年間王者を獲得。マリノスで絶対的な地位を築いた。しかし2010年、チームから解雇通告を受け、翌年JFLの松本山雅FCに移籍。J2昇格に向けて人一倍の闘志を燃やしていたが、練習中にピッチで倒れ、帰らぬ人となった。

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