松山英樹にとっての東京五輪。未知なる状態での死闘で改めてわかったこと (3ページ目)

  • 柳川悠二●取材・文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by JMPA

「詰めが甘いと、こういう結果になると改めてわかった。(パッティングに不安があった?)久々の試合ですし、しばらく優勝争いもしていなかった。新しいことを始めて、どんな反応があるかなと思っていた。難しいかもしれないし、うまくいくかもしれない。だから、ショットでチャンスを作らないといけないとは思っていた」

 最終18番では、仕事を終えた大勢のスタッフがグリーン周りを囲む中、セカンドショットを4m弱につけた。決めれば3位が確定するブロンズメダルパットだった。しかし、これも外してしまった。

「17番が終わった時点で、(銀メダル以上は)ほぼないと思っていた。バーディーを奪って上がれたらなと思ったんですが、それが叶わず......」

 優勝者が決まったあと、通算15アンダーで並んだ7人による銅メダルプレーオフが始まるという異例の展開のなか、松山は1ホール目でボギーを叩いて脱落した。

 自国開催の初めての五輪は4位タイという結果に終わった。いわばホストプロとしての役割を果たした松山は、3年後のパリ五輪に向けてはこんなコメントを残した。

「出たいかと聞かれたら、あんまり乗り気じゃないですけど(笑)。まあ、(同じく東京五輪に出場した星野)陸也に頑張ってもらいましょう」

 冗談で受け流したことで、むしろ、腹の底に秘した野心が垣間見えた。

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