松山英樹にとっての東京五輪。未知なる状態での死闘で改めてわかったこと (2ページ目)

  • 柳川悠二●取材・文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by JMPA

 最終日を一緒に回るのは、優勝したマスターズでも決勝ラウンド2日間をともにしたシャウフェレ。

「明日は勝つという気持ちでくると思う。自分も気持ちで負けないように」

 最終日はシャウフェレが連続バーディースタートを決めたのに対し、松山に最初のバーディーがきたのは7番パー3だった。続く8番で深いラフに苦しめられてボギーとし、ライバルとの差は最大の5打にまで広がった。

 しかし、後半に入ると11番、12番で連続バーディー。13番では短いパーパットを外してボギーとするも、14番のパー5でバーディーを奪って通算16アンダーに。同ホール、ティショットをミスしてブッシュに飛び込んだシャウフェレがボギーを叩いたことで、気がつけば1打差となっていた。

「14番でリーダーボードを見た時に、(ホールアウトしていたロリー・)サバティーニ(スロバキア)も17アンダーだったので、それ以上いかないと銀メダルはないと思っていたし、14番でザンダーがミスして、上がりのホールで(バーディーを)とればいけると思ったけど......。なかなかうまくはいかなかった」

 シャウフェレに追いつくチャンスはあった。つまり、金メダルのチャンスはあった。だからこそ、上がり4ホールのパッティングが悔やまれる。

終盤パットが決まらず、惜しくもメダルを逃した松山英樹終盤パットが決まらず、惜しくもメダルを逃した松山英樹この記事に関連する写真を見る 15番のパーパットや17番のバーディーパットなど、ショートパットがことごとくカップに嫌われた。17番を終えた時点で、通算18アンダーのシャウフェレとは3打差、そしてサバティーニとは2打差があり、金銀のメダル争いからは脱落した。

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