「イップスかもしれない」疑心暗鬼になっていた堀琴音を救った言葉とは?

  • 金明昱●取材・文 text by Kim Myung-Wook
  • photo by Getty Images

――プロテスト合格後もステップ・アップ・ツアーで結果を出して、翌2015年にはレギュラーツアーに本格参戦を果たし、賞金ランキング33位。1年目から見事にシード権を獲得しました。

「正直、1年目はすごく"壁"を感じました。ひと言で言ったら、すごく疲れた一年。全国各地、ホテルを移動しての連戦。プレーするコースもすべて初めてでした。当然、家にはなかなか帰れませんし、そういったことが少しずつ溜まっていって、ストレスになっていましたね。シード権は獲れましたけど、"プロの壁"を感じた一年でした」

――ツアー2年目(2016年シーズン)も活躍。とりわけ印象に残っているのは、日本女子オープンです。当時アマチュアだった畑岡奈紗選手と熾烈なトップ争いを演じて、惜しくも2位。ご本人としてはいかがでしょう、やはり悔しい思い出として残っていますか。

「その時の話は、いまだによく聞かれます(苦笑)。やっぱり、みんなの中で強い印象に残っているのかなぁって思います。

 確かに(自分でも)一番悔しかった試合だったかもしれません。試合が終わった瞬間はそこまで悔しい思いはなかったのですが、宿泊先に戻って時間が経つに連れて、いろいろな感情がこみ上げてきて......。やっぱり勝ちたかったなと思ったし、悔しかったし、夜も(日付が変わって)3時、4時くらいまで寝られませんでした。

 周囲の反応も大きかったですね。優勝できなかったのに、メールが普段よりも多く、100通以上は来ていました。それも、すごく言葉を絞り出して書いたんだろうな、という内容が多かった(苦笑)。負けた私に、気を遣ってくれたことがよくわかります」

――ともあれ、同シーズンでは賞金ランキング11位という成績を残しました。プロとして、かなりの手応えを得られたのではないでしょうか。

「ツアー1年目に比べて、しんどいと感じることはなかったですね。ツアーに慣れてきた、ということもあったと思います。

 自分にとっては、衝撃的な一年でもありました。まさか自分が日本女子オープンで優勝争いできるとは思っていなかったですし、最終戦のLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップにも出たいとは思っていましたけど、本当に出られるとは思っていませんでしたから。ツアー終了後には、日立3ツアーズ選手権(男子、女子、シニアの3ツアーの対抗戦)にも出場させてもらって、すごくいろんな経験ができた年として記憶しています」

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